日本国の歴史ではなく、日本政府の歴史2011/11/16 05:00

 つぎに正田庄次郎さんは「比較文明論」という見出しを立てて、『文明論之概 略』の特色は、東西文明を比較しながら文明論を展開していることであるとい う。 そして、野蛮→半開→文明という人類に共通する歴史の発展段階論と重 ねて論じられていること、したがって極度に単純化して東西文明のそれぞれの 特色をえぐる福沢のねらいを正しく理解する必要があること、の二点に注意す るよう促している。

 福沢は、文明とは、国民一般に分賦する智徳の現象だという。 別の言葉で いえば「全国人民の気風」、「国を制する気風」。 社会を動かし、歴史を動かす 原動力となるものは、各時代の「全国人民の気風」、すなわち「時勢」にほかな らない。 英雄豪傑が歴史をつくるのではなく、「時勢」がかれらに千載一遇の 時を与える。 治者の栄枯盛衰を記したこれまでの歴史は、日本国の歴史では なく、日本政府の歴史にすぎない。 この歴史観にみられるように、福沢は歴 史をつくる主体を、治者の側にではなく、被治者の側にみていた。

 このように決定的な意味を持つ「人民の気風」が、現在の日本でどういう状 況にあるかが、福沢の「日本文明」に対する批判のポイントになる。 福沢は 日本の歴史を、治者と被治者の関係にしぼって考察し、その特質として、治者 内部の交代はあっても、治者と被治者の関係が不変であったことを摘出する。  有形の腕力も、無形の智力も、学問も宗教も、みな治者の党に味方した。 被 治者もまた、治乱興廃、文明の進退といった事柄は、治者に関することで、自 分たちと無関係だと考えていた。 こうした歴史は、専制の政治が巧みであれ ばあるほど、またその治世が長ければ長いほど、「権力の偏重」を「永世の遺伝 毒」として日本の精神的風土に伝えることになった。 その毒は政府と人民の 間だけでなく、男女の交際、親子の交際、兄弟の交際、長幼の交際、師弟主従、 貧富貴賎、新参故参、本家末家等、およそ人間の交際のすべてに、日本のすみ ずみにわたって遺伝し、「人民の気風」に定着した、と。