中国の「暇人」およそ3億人2011/11/26 04:31

 テレビでも、よく見る光景だ。 北京や上海、重慶や天津など、中国の主要 都市を始め、あらゆる地方都市でも、路上や公園など、街のいたるところに、 働きもせず一日中ぼんやりしている人々がいる。 公園で卓球、中国式将棋「象 棋(シャンチー)」、麻雀、トランプに明け暮れたり、仲間とひたすらしゃべった り、ビールでも飲みながら軒先でくつろいでいたりする。

 加藤嘉一さんは当初、彼らの存在が不思議でならず、話を聞いてみると、「お 兄さん、たしかに俺達には金もない。大した仕事もない。でもな……俺達には 『時間』がある」と言った。 彼ら、加藤さんのいう「暇人」は、たとえ小さ くとも、自分の家を持つ、生れついての地元住民、地元から離れようとはせず、 移動の自由など求めないのだ。 それが都市に出稼ぎに来た農民工とは、まっ たく違う点だ。 「暇人」は、極力働こうとしない。 住むところがあり、着 るものにも頓着しないのだから、最低限食っていけるだけの稼ぎがあればいい と考えている。 例えば、焼き芋を売っている「暇人」おじさん、半日売って 50元(約650円)、1.5元の安ビールを飲み、せいぜい15元程度の食事をとる。  幼なじみによる独自のコミュニティを持ち、いつも仲間が集まっていて、おご ったりおごられたりしている。 はじめに書いたように時間を過ごし、酒をの み、そしてセックスだ。 地方ともなれば、一人っ子政策なんか守られていな い。 4人兄弟や5人兄弟の家庭なんてざらにある。

 彼らを貫くキーワードは「諦観」、金持になることや社会的成功を諦め、政治 の変革を諦め、社会にコミットメントすることを諦める。 そしてただ、毎日 を享楽的に過ごす人生を選択する。 中国という途方もなく巨大な国家には、 1億円出さないと買えない幸せもあれば、100円で買える幸せもある。 どち らを選ぶかは、その人次第だ。 「暇人」は2~4億人、おそらく3億人前後 はいるだろう、と加藤さんは推定する。

 実は、中国の歴史を動かして来た陰の主役は、「暇人」だった。 毛沢東は「農 村が都市を包囲する」と説き、中国各地に農村根拠地を築き、農村部で地主の 土地を接収して貧しい農民に分配した。 ただし毛沢東は、当時人口の9割を 占めていた農民を全面的に優遇したわけではない。 1951年には戸籍制度を導 入し、戸籍によって農民たちを農村に縛りつけ、都市に移動できないようにす る。 代わりに土地改革法を布告して、地主から取り上げた土地を貧しい小作 農に分配する。 あくまでも「生かさず、殺さず」が毛沢東の農民対策であり、 「暇人」対策だった。

 この「生かさず、殺さず」路線は、現代中国における「暇人」対策でも同じ だ、と加藤さんは言う。 「暇人」たちが社会的にも、経済的にもなんら国家 の利益に寄与しないことを十分承知した上で、あえて彼らが生きていく「隙」 を与える。 そして彼らが暇を持てあましながらも食っていけるだけの経済環 境を維持する。 「暇人」がいつまでも「暇人のまま」でいられるようにマネ ジメントすること、これが中国という巨大な国家を維持していくために、欠か せない条件なのである、と。

 日本の「暇人」はといえば、毎日<小人閑居日記>を書いている。 そのこ とに思い至って、ニヤリとした。