通説「女帝中継ぎ論」を見直す2012/01/12 04:15

 『図書』1月号で、藤森照信さんの「茶室という建築」の次にある、義江明 子さん(日本古代史・女性史)の「「女帝中継ぎ論」とは何か―研究史と史学史の 間」が、まことに興味深かった。 学問研究の成果に、胸がすくような思いが した。

古代には推古・皇極=斉明(さいめい)・持統・元明・元正(げんしょう)・孝謙 =称徳と、8代6人の女帝が、また近世にも明正(めいしょう)・後桜町の2人 の女帝がいた。 これらの女帝は男性による継承が困難である場合の「つなぎ」 の天皇、つまり「中継ぎ」とみるのが通説だった。 これはまた、現在の政府 の公式見解でもあるという。

 しかし、この10年ほどの間に、古代王権論の分野では、「女帝中継ぎ論」の 根本的見直しがすすんだ、というのである。 荒木敏夫『可能性としての女帝』 (青木書店、1999年)は、女帝も政治権力の最中枢に位置する存在だとして、性 差を前提としない「大王・天皇としての女帝」論を提起した。 大日本帝国憲 法および皇室典範で男系男子の継承が法制化されるまで、女帝は原理的に排除 されてはいなかったことをはっきりさせた。

 義江明子さんは、これを受けて、持統や孝謙=称徳について、彼女たちが各 時代の王権の課題と取り組んだ王者であったことを具体的に示した。(「古代女 帝論の過去と現在」『岩波講座 天皇と王権を考える』7、2002年) さらに、卑 弥呼言説の検討を通じて、“女性は統治者にあらず”との通念が、近代的男帝像 の樹立と表裏一体の関係で、明治末年以降に形成されていく学問的状況を明ら かにした。(『つくられた卑弥呼』ちくま新書、2005年)

 仁藤敦史は、世襲王権が成立する6世紀以降は、血統的資格をもつ限られた 王族の内部で、年少な男性よりも人格・資質などに卓越した女性年長者が即位 する可能性が増えた、と推古以降の女帝輩出の背景を明快に説明した。 6-7 世紀の男帝・女帝の即位年齢はほぼ40歳以上であり、「この点での性差はない」 (『女帝の世紀』角川選書、2006年)

 義江明子さんは、「国家体制形成~確立の激動期にあっては、資質と年齢(経 験)に裏打ちされた統率力なしには王者たりえないこと、その点で女性を統治者 から排除するシステムも観念も古代にはなかったことが、明確になったのであ る」と言う。