茶室の土と火、遠い住まいの記憶2012/01/11 04:14

 いくつかの茶室を設計し、このところ、茶室や、茶室のような小建築を頼ま れることが多いという藤森照信さん。 茶室の本質として“分かった”と思っ たのは「一坪の広さ」のほかに、もう一つあった。 土と火の問題である。 な ぜ利休は、貴重品を飾るべく成立した床の間の中を泥で塗り回してしまったの か。

 従来、利休以前に主流だった唐物(からもの・中国から輸入した品)を否定す るため、唐物の美学と正反対の粗い土壁にした、と説明されてきた。 藤森さ んは、それだけではなかったと考える。 唐物否定について利休は自覚的だっ たが、自分でも意識できないテーマがあったのではないか、というのだ。

 土が火と組んであの小空間の中で顕わになっていることに注目してほしい、 と藤森さんは言う。 原始的な段階の人類の住まいを考えると、水の近くに人々 は集まり、次に火を焚く。 火は集団用でなく、個々に(一家族も単身者もそれ ぞれ一つ)焚かれる。 そして、火の前に、枝や葉を集めてきてシェルターを作 り、その中にもぐり込む。

ここからは、『フジモリ式建築入門』(ちくまプリマー新書)の方がわかりやす い。 利休は茶室の狭い中に炉を切り、火を入れた。 それまで、使用人が別 のところで湯を沸かして茶を点て、茶室に運び、亭主が客に出したのをやめ、 亭主自らが火を起こし湯を沸かし、茶を点てるように改めた。 利休がわざわ ざ取り込んだ炉は、高床式、寝殿造、書院造のいずれでも主要な棟からは排除 されていたし、そもそも炉は、床(ゆか)の上にではなく地べたから盛り上げた 土の上に築かれている。 床に切られた炉は、土につながり、民家とその奥の 竪穴式の土間へとつながる、と藤森さんはいうのである。

高床式にはじまる上層的で貴族的で文明的な住まいの流れが、聚楽第の書院 造で頂点に達した時、利休の茶室はそれとは違う住まいと建築の原理があるこ とを、高床式以前の住まいの姿を借りて、示したのではないか。 土と火こそ が人の住まいの根拠である、と。

まず火があり、火の周りに人が集って一つの空間が生れ、空間をあり合わせ の材料で包んだ時、人間の住まいは出現した。 その遠い記憶が、利休の茶室 にはある、と藤森さんは“分かった”というのだ。