「“絆の町”に父を探す~井上麻矢・ボローニャ~」2012/02/07 04:19

 1月31日BSプレミアム放送の「旅のチカラ」「“絆の町”に父を探す~井上 麻矢・ボローニャ~」(語り・余貴美子)を見た。 「こまつ座」を引き継いだ ものの、父・井上ひさしさんはまもなく亡くなってしまった。 70本の戯曲は 残ったけれど、新作のない「こまつ座」をやっていけるのだろうか。 父をも っと理解したいと、父が長く関心を持っていたボローニャを訪れ、父がボロー ニャで会った人々に会って、父のことを尋ね歩く。 2003年12月の井上ひさ しさんのボローニャへの旅は、翌年BSで放送されたから、麻矢さんが会った 人々は、私にも見覚えのある懐かしい人々だった。 終盤、現地の劇団が『父 と暮せば』を上演した。 イタリア語のせりふに、広島弁の字幕が出るあたり で、涙が出て来た。 「おとったん、ありがとありました」。 井上ひさしさん は麻矢さんに、「問題」は「悩み」にせず、「問題」のまま解決しなければ駄目、 と言っていたそうだ。

 それにしても、“絆の町”の“絆”には引っ掛かる(2月3日の日記参照)。 2004 年に、明治大学で4月と7月の二回、井上ひさしさんのボローニャ論の講演を 聴いた。 その時の日記を読み返してみたら、井上さんは“絆”ではなく、「と もに生きる町・ボローニャ」「人と協同する」と、言っていた。 2004年4月 2日明治大学リバティー・アカデミー開講記念講演「井上ひさしの学び術」か ら、まず「井上ひさしさんの取材術」を書いていて、梅棹忠夫さんが出て来た ので、そっくり紹介する。 そういえば麻矢さん、ひさしさんの分厚い取材ノ ートを持参して、たえず参照しながら、ボローニャを歩いていた。

井上ひさしさんの取材術<小人閑居日記 2004.4.4.>

 「井上ひさしの学び術」。 井上さんは、ずっとイタリアのボローニャという 都市に関心を持って来たが、昨年12月NHKのハイビジョン番組の制作を兼 ね、2週間ボローニャだけに沈みこんだ。 その取材の実際、情報の整理の仕 方を、なぜボローニャなのかにからめて、話をした。 厚さ20センチぐらい にふくらんだ取材ノートを見せた。 厚くなるのは、手に入ったものは、なん でも貼りこんで行くからだ。 パンフレット、切符やレシートも。 写真は一 切使わない。 景色を文字にする仕事をしてきたから。 脳ではなく「手が記 憶する」(ゲーテ)。 スケッチを描いて、手で覚え込ませる。 帰って来てか ら、一枚の大きな紙に、一覧表にまとめる(ボローニャのは、2×3メートル 位あった)。 取材時と合せ二度、書くことになるから、頭の中に入る。

 ふだんから、井上さんは、手帳になんでも書いていくという。 入口は手帳 一つにして、今年はいま8冊目。 手帳に覚えさせる。 結局、これが一番い い、分類しちゃダメ。 本や新聞を読んだり、実際に経験したりして、心にと まったことを、なんでも書いていく。 どの手帳のどのあたりに書いたという ことは、だいたい覚えているものだ。 読み返すと、面白い。

 例のカードにしたこともある。 あれは有能な秘書が必要で、梅棹忠夫さん のような大学の先生でないとダメ。 分類がたいへんで、一人でやると手間が かかるだけで、情報を取りだすのが難しい。 大江健三郎さんは、メキシコ大 学へ行った時、6千枚の読書カードが入った鞄を盗まれた。 ドロボウには一 銭の価値もないものでゴミ溜めに捨てられたのだろうが、過去の読書記録と感 想、今後の構想などを書いたものを、ごっそり失って、大江さんは3年くらい 立ち直れなかった。

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