GHQの書道禁止?と、熊野筆(1)2012/02/17 04:52

 戦後、GHQが書道を禁止した、という話を聞いた。 初耳だった。 剣道 や柔道を禁止するのは分かるが、書道も禁止というのは、「道」の字がついてい たからだろうか。

 その話というのは、こうである。 なでしこジャパンに国民栄誉賞の記念に 化粧筆が贈られた。 竹田ブラシ製作所製の桐箱入り7点セット、定価34,650 円の熊野筆だという。 熊野といっても、和歌山から三重にかけての熊野でな く、広島県安芸郡の熊野町だということが、あのニュースで知られた。 熊野 町は、広島、呉、東広島の三つの市に囲まれ、四方を500メートル前後の山々 が取り巻く高原盆地だそうだ。 江戸時代の末期、平地の少ない熊野では、農 業だけでは生活が苦しく、農閑期を利用して奈良地方から筆や墨を仕入れて販 売していたのがきっかけとなり、今から約170年前には広島藩の工芸の奨励で 本格的に筆づくりの習得を始めた。 先進地の奈良や兵庫県の有馬から筆づく りの職人を招いたり、若い村人を派遣したりして、技術を習得、全国に販売先 を広げて行った。 明治になると、学校教育の中で毛筆が使われるようになっ て、生産量は大きく増加した。

 しかし戦後、GHQが習字教育を禁止したため、習字用の毛筆の生産量が落 ち込んだ時期もあった。 それで昭和30(1955)年頃から画筆や化粧筆の生産が 始まった。 昭和50(1975)年には、広島県で初めて通商産業大臣の伝統的工芸 品の指定を受け、現在では、毛筆、画筆、化粧筆のいずれも、全国生産の80% 以上を占めているという。