フェルメールの手紙の絵、ゴッホの手紙2012/02/02 04:50

 前田富士男さんは、「イメージとは」という話をした。 それは何かの姿であ り、今ここにはないが(不在)、しかし、それを呼び起こすもの(現前化)。 イメ ージには、図示的な絵画、彫刻、建築から、(光学的な鏡、投影像―知覚的な感 覚像―心的な夢、記憶、想像―身体的な表情、舞踊―音響的な音楽を経て)、言 語的な文学まである。 絵画と文学は、きわめて違う、反対の関係にある。 絵 画はアナログ的で、言語はディジタル的だ。 

 フェルメールの時代には、ディジタル的な言語が、過不足なくアナログ的な 絵画に取り込まれて機能していた。 それが、ゴッホやセザンヌの時代になる と、言葉の世界が前面に出てきて、画家が言語の世界を重視せざるを得ない状 況になる。 ゴッホの膨大な手紙を見ると、言葉は絵以上のもので、言葉によ る「模索」が絵になっていく。 自殺する4日前の最後の手紙、弟テオ宛の第 651信に、五行にわたって絵に描いたドービニーの庭の細部が、えんえんと文 章で綴られているのを読んで、前田さんは、心が痛むという。 ゴッホが書き 続けていた弟宛の手紙は、みんな自分に戻ってくる、自分宛の手紙だと思って いいという。