檀一雄の子供達と、『火宅の人』の発端 ― 2012/08/14 01:50
というわけで、笠耐さんは、母トミを中心とする大家族の中で、異父兄であ る檀一雄と濃密な関わりをもって、育っている。 檀一雄は、原稿料が入って も、仲間と飲み歩いていて、いつも家計は火の車、月末や年末に借金取りが押 しかけてくる。 耐さんが応対に出ると、誰もが「お父さんによろしくお伝え ください」といったという。 母トミに言われて、兄のところにお金の催促に 行くこともしばしばだった。 「兄が舞台女優の入江杏子(きょうこ)と住む ようになってからは、年老いた母との間にあって兄に厳しい意見をいうことも あった」とある。 『火宅の人』の一件である。
私が不思議に思ったのは、「兄、檀一雄の思い出」に、一雄と律子の子、太郎 は出て来るけれど、ヨソ子の子供たちのことが出てこないことだった。 女優 の檀ふみについて、一言の言及もない。 檀ふみはいつ生れたのか、まさか入 江杏子の子ではないだろうが、と思ったのである。
そこで、新潮日本文学アルバム『檀一雄』を見ながら、沢木耕太郎さんの『檀』 (新潮社)を読み始めた。 結論はこうだ。 4月に律子が亡くなった昭和21 (1946)年11月、山田ヨソ子と結婚(一雄34歳)。 昭和23(1948)年10 月、上京してきたヨソ子、太郎と練馬区南田中に住む。 昭和25(1950)年5 月、次男次郎誕生。 昭和26(1951)年、石神井公園近くに家を購入して転 居。 昭和28(1953)年2月、三男小弥太誕生。 昭和29(1954)年6月、 長女ふみ誕生(一雄42歳)。 昭和30(1955)年8月、次郎日本脳炎を発病。 昭和31(1956)年3月、次女さと誕生。 8月、入江杏子と蔦温泉で事を起す。
沢木耕太郎さんの『檀』は、週に一度、一年間ほど、檀ヨソ子の話を聞いて、 ヨソ子が檀一雄について書いている形式になっている。 決定的な事が起こっ たあとで、家に帰ってきた檀はヨソ子に「僕はヒーさんと事を起こしたからね」 と、言ったという。 新潮日本文学アルバム『檀一雄』には、入江杏子の写真 や、檀がスペインから「MISS HYii IRIE」入江杏子に宛てた絵ハガキの写 真がある。 杏子の本名は、久恵だった。 この時は民芸で研究生から劇団員 になったばかりの女優だったが、檀が9年前に福岡で劇団珊瑚座を創めた時に 17歳で参加していて、ヨソ子や母トミもよく知っていた。
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