絶入(せつじゅ)と六義園(むくさえん)2012/08/24 01:14

 筒井康隆さんの『聖痕』7月17日の第5回、隣家の初老の主婦が、塀の内側 に入って、「すでに絶入している」葉月貴夫の姿を発見した場面。 「絶入」に 「せつじゆ」とルビがあった。 知らない言葉だったので、手元の電子辞書の 『広辞苑』をみたら、「ぜつじゅ」【絶入】絶え入ること。気絶すること。平家 物語(5)「かれが怒つて向ふ時は、大の男も―す」、とあった。 別項に、「ぜ つにゅう」【絶入】・・ニフ→ぜつじゅ、というのもある。 そこで、朝日ネッ トの筒井康隆さんのフォーラム「221(筒井)情報局・221本部」に質問 した。 「「絶入」のルビ、「せつじゆ」は古い読み方なのでしょうか?」 す ると、筒井康隆さんご自身が早速答えて下さった。 「「せつじゅ」は古語です。 ただ、現代でも「ぜつにゅう」と共に、使われております。」

 8月17日の36回、後半に六義園が出て来て、「むくさえん」とルビがあった。  物語の経過から、場所は文京区だと思われる。 本駒込の六義園は、柳沢吉保が 下屋敷の庭として造園、晩年の隠居所にしたという回遊式庭園だ。 和歌の六 義にのっとって造園したというので六義園「りくぎえん」、「むくさえん」には 違和感があった。 そこで思い出したのが、本駒込にお住まいの家内の友人の 奥様が国語の先生で、六義園で『源氏物語』や『平家物語』の講習会をなさっ たりしていることだった。 さっそく古語にそうした読み方があるのかと、お 尋ねすると、専門家は素晴らしい、つぎのような回答を得た。

柳沢吉保の側室、正親町町子に『松蔭日記(まつかげにっき)』(岩波文庫に も入っている)がある。 五代将軍徳川綱吉の正室は、京都から来たお公家さ んの鷹司信子で、正親町町子も信子に付いてきたらしい。 『松蔭日記』は名 作として知られ、元禄文化を生み出した綱吉治世下の最高権力者、柳沢吉保の 半生の栄華物語。 多数の妻妾を伴っての光源氏のような日常生活を、『源氏物 語』『栄花物語』をふまえて書いたものだという。 その中に、「むくさのその」 として出て来るのだそうだ。

筒井康隆さんの朝日連載小説『聖痕』、いろいろと勉強になる。