さん喬の「火事息子」後半 ― 2013/01/06 07:12
台所で待って頂いている、何でこちらに来てもらわないんだ。 濡れていら っしゃる。 店の方に来づらいのは、質草でも流したからか。 いえ、ご勘当 の新次郎様で。 体中に刺青がある、新次郎のわけはない。 間違いなく新次 郎様で。 帰って頂こう、礼など言うことはない、頭一つ下げるのも、嫌だ。 通りすがりの他人様、若旦那ではございません、お礼を申し上げて下さい。 そ うだね。
台所の隅にしゃがみ、ぐしゃぐしゃに濡れた半纏を一杯に伸ばしている。 目 塗りをして、暖簾をお助けくださいまして、有難う存じました。 こちらにお 出でなさい。 お顔だけでも。 こちらへ来ないか、馬鹿野郎、こっちへ来い。 何てなさけねえ恰好だ。 でも、お前のお蔭で暖簾に傷がつかないで済んだ。 寒くないか。 子供の頃から火事が好き。 火消の政三郎が火の中から子供を 助けて死んだ。 そのかみさんを店において、お前につけた、浅草へ行っても 買って来るのは、纏や鳶口だ。 十七の時、鳶頭(かしら)に火消になりたい と頼んだ。 うまいこと鳶頭が四十八番の鳶頭連中に回し状をし、頭取にも話 をつけてくれた。 それが定番の火消の臥煙になった。 足滑らせて、怪我し てやしないか、心配した。 寒くないのか。 そんな恰好で、この辺をうろつ いて、お父っつあんの顔に泥を塗るな。 おっ母さんにも、ちゃんと挨拶をし ろ。
タマや、タマや、どこにいるの、あら、お客様で、ご無礼しました。 新次 郎だ、新次郎だよ。 新次郎ですよ、よく来たね、ずいぶんきれいな絵を描い てもらって、こっちにお上がりよ。 何言っているんですか、たった一人の倅 ですよ。 顔見せておくれよ。 おっ母さん、お父っつあんも、達者で何より です。 一目会いたくて、神田錦町あたりの役屋敷に行ったこともあった。 寒 いから、何か温ったかいものをこしらえてやろう。 体中濡れていて、可哀想、 着物をやろう。 何で着物なんか、やるんだ。 あなたは世間の人には冷たい 方でないのに、何で倅だと冷たくするんです。 着物の一枚位いいじゃありま せんか、世間様の子供じゃありません、私のたった一人の倅だ。 着物ぐらい、 捨ててやれ。 だから、捨てれば、入用の人が持って行く。 捨ててやれ。 そ うですね、金をつけて、そうすりゃあいい。 箪笥ごと捨てるから、誰か、手 伝っておくれ。 一つずつにしろ。 じゃあ、結城だけに。 どこのお役者様 かと言われるよ。 そうだ、紋付、羽織、刀に雪駄、小僧も一人、捨ててやろ う。 そんな形(なり)をさせて、どうするんだ。 火事のお蔭で会えたのだ から、火元に礼にやりましょう。
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