佐藤春夫が観る荷風文学の核2013/01/14 06:30

 佐藤春夫の観るところ、荷風は自ら無頼を装うとはいえ、異常な色情という 一点を除いては、どこまでも良家の子弟というにふさわしい人であった。 し かし彼は終生、少年のように父を畏怖するだけで、親和することのできない不 幸な人だった。 というのは彼自身の放蕩を省みて厳粛に偉大な父の前に圧倒 されるのを感じたのではなかろうか。 彼はそういう気の弱い一面のある人で あった。 そうして彼自身、家庭にあっては常に敗北者のような気分でいたの ではなかろうか、彼の社会的敗残者に対する同情も、おそらくここに起因して いたのであろう。

 こう分析した佐藤春夫は、さらに、父に対する畏怖の原因は、もっと内部の 深層にあったと考える。 彼は強烈なエディポス(エディプス)・コンプレック スの人というのではないだろうか。 それは何人にもあるが、普通は成人とと もに脱却するのだが、終生大切に抱きつづけていたというところに秘密のない 荷風唯一の秘密と異常性とがある。 佐藤春夫は、このエディポス・コンプレ ックスこそが、荷風文学の核であったと観て、これによって彼の文学とその生 涯との一切を解こうとする。(88~89頁)

 荷風は自らの文学を「春水とモウパッサンとの合の子のような文学」と解説 しているという。 春水は為永春水、江戸後期の戯作者で、初め貸本屋や為永 正輔と名乗って講釈師をしていたが、式亭三馬に入門、「明烏後正夢」「春色梅 児誉美(暦)」「春色辰巳園」などを書いて名声を得、人情本の作風を確立した が、天保改革で風俗壊乱の罪で手鎖刑に処せられた。 佐藤春夫は「荷風文学 はその反俗精神にも劣らぬ好色的意欲から成るものと解する」「否、ひとり荷風 文学のみでなく、すべての詩心というものは頭蓋の骨匣のなかでは淫心と相隣 接して秘蔵され、互に交流することの密接なものなのでもあろう。」(68頁)と 書いている。