大学教育の役割、清家塾長の年頭挨拶2013/01/23 06:38

 10日は第178回福澤先生誕生記念会。 清家篤塾長は年頭挨拶で、大学教育 の役割について述べた。 大学をめぐるstake holder(利害関係者)、産業界 の声に真摯に耳を傾けつつも、大事なのは塾生だ。 目先の即効性より、学生 の長い人生にとって良いものを考える。 藤原工業大学開校時に工学部長を務 めた海軍技術中将だった谷村豊太郎は、即戦力を求める意見に対し、「すぐ役 に立つ教育」とは「基礎的知識を十分に身につけさせておけば、いかなる分野 の仕事を受持っても狙い所が早く呑みこめて、比較的容易に対処できる」と言 った。 小泉信三の言葉「すぐ役に立つ人間は、すぐ役に立たなくなる」は至 言である。 

 学問の作法は、科学的方法論と同じだ。 客観的にものを見て、問題を発見 し、自分の頭でよく考えて、論理的な仮説をつくり、客観的に検証する。 慶 應義塾は、自分の頭でものを考えられる能力を身に付ける学塾でありたい。 学 問の醍醐味を知ってもらうのだ。 服部禮次郎さんの好きな福沢の言葉に、「学 者は国の奴雁なり」というのがある。(明治7(1874)年6月、『民間雑誌』第 三編の論説「人の説を咎む可らざるの論」(『福澤諭吉全集』第19巻512~5頁)) 雁の群れが野にいて餌をついばんでいる時、必ず一羽が首を揚げて四方の様子 をうかがっている。 不意の難に番をする、これを奴雁という。 学者(学問 のある、高等教育を受けた人)もまた、時勢とともに変遷する中で、独り前後 を顧み、今の世の有様に注意して、それによって後日の得失を論ずるものでな ければならない。 だから学者の議論は現在その時には効用が少なく、多くは 後日の利害にかかわるものだ。 甘い今日にいて、辛い後日の利害を言う時は、 その議論は必ず世の人の耳に逆らうことになる。(当日記、2012.4.22.「「奴雁 (どがん)」福沢と前川日銀総裁」参照) (この後、伊藤正雄さんの言葉への 言及があった。私は伊藤さんの『福沢諭吉入門』で福沢に入門した者だが、出 典を見つけられなかった。)

 “市民目線”(住民の平均的な意見)は、必ずしも正しくない。 学問によっ て正しく理解される。 学問は、長期にわたって社会の発展に寄与する。 わ れわれの生活を豊かにする。 近代天文学におけるコペルニクスやガリレオ・ ガリレイの成果は、当時、うさん臭いものだった。 天動説の方が“市民目線” に合致していた。 日々の経験や実感とは違うものが真理であるということが、 学問を通じてようやく理解できた。 科学には二種あり、第一は応用、第二は まだ応用されていない研究、基礎的研究である。 大学の役割は、長期的視点 に立った研究、時の権力や社会的勢力から独立した研究だ。 特に「私立」は、 固有の建学理念に基づき、自由な研究と教育が出来る。

 慶應義塾の教育の最終的評価は、社会に出た塾員の姿によってなされる。 そ の生涯を終える時に、慶應に学んだことを、どう思うのか。 卒業式や入学式 に招待する卒業25年50年の塾員が、日吉まで足を運んでくれるのは、よかっ たと思ってくれるからだろう。 塾生の人生に資するような学塾でありたい。