「一身独立して一国独立す」2013/02/11 06:31

 福澤は『文明論之概略』巻之三で、智徳は人間精神の発展にとってどちらも 欠いてはならない車の両輪のように重要な要素であるとして、智と徳との関係 を私徳、公徳、私智、公智の四つに分類整理した。 私徳とは、潔白や謙遜の ように、一心の内に属するもの、公徳とは、公平や勇強のように、人間の交際 上に現われるはたらき、私智とは、物の理を極めてこれに応ずること、最後に 公智とは、人事において何が重大で、何が軽小であるかをよく判断し、時と場 所を察するはたらきである。 福澤はまず私徳の典型である儒教思想・道徳の 浸透が、江戸時代以来日本人を狭い身分制の枠組みに自足させ、そこにだけ自 分たちの世界を限定してしまったために、文明の広大さに対して遅れを取って しまったとする。 その日本の現状と断固として闘うために、公智と結びつく かぎりでの公徳を最も意義深いものとして前面に押し出す。 ポイントは、徳 の大切さだけを説く人々に対して、その重要さは否定しないものの、それだけ では新しい時代に適応できず、これからは公智がそれに加わらなければならな いと強調するところにある。 徳の大切さを真に生かすためにこそ、智が加わ らなければならない。 この場合、福澤の思い描いていた徳とは、広大な文明 の恩恵に浴することによって、その功徳を真に有効ならしめること、つまり人 間性の深みと大きさとをよく理解することによって独りよがりを打ち破り、人 間の本質である「社交、交際」の精神を自己涵養してゆくことを意味する、と 小浜さんは言う。 (馬場註…福沢にとって文明が、『文明論之概略』緒言にあ るように、ある個人の智徳の進歩ではなく、「天下衆人の精神発達を一体に集め たもの」と理解されることにも、触れたほうがよかったと思う。)

 小浜逸郎さんは、福澤諭吉が「文明の無限の発展」という最長期的な理念を まず大前提として、その途上にあるすべての国がみずからその理念を最大限に 取り入れるところに近代国家の目標を見出し、その出発点に立っている日本に おいては、まず一人ひとりの人間が文明の成果を正しく取り入れつつ、それぞ れの立場で自立精神を養うこと、そしてそのことが国家の独立を確立するため の必須条件であると考えた、と結論する。

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