ルオーとサーカス、そして道化師2013/02/03 07:39

 パナソニック汐留ミュージアムの「ジョルジュ・ルオー I LOVE CIRCUS」 展は、三幕に分かれていた。

 第一幕は「悲哀―旅回りのサーカス」1902~1910年代。 ルオーは1871年 にパリの場末の労働者街、ベルヴィル地区の貧しい家具職人の家に生れ、少年 時代にステンドグラス職人に奉公していたという。 その頃夢中で見た旅サー カスを思い出しながら、画家で師匠だったギュスターヴ・モローの美術館の初 代館長をしていた32歳頃になって、道化師を描き始めたのだそうだ。 水彩 に油彩を重ねるなど、複数の素材や技法を用いた「複合技法」を積極的に使っ ている。 ルオーは「道化師は私なのだ。私たち誰もが金ぴか衣裳をつけた道 化師なのだ」という言葉を残しているそうだが、その描く道化師やレスラーや シャユ踊り(フレンチ・カンカン)の踊り子の表情は、暗く、孤独で、哀しい。  ここには1920年代に描かれた「自画像コーナー」があり、道化師に扮したも のもある。 解説に、それには「内面の葛藤が見られます。道化師はルオーに とって自分自身であるとともに「人間」の象徴そのものでした。他人から理解 されず、自由で無欲で、勇敢で常に満たされぬ思いを抱いている「人間」、決し て希望を失わず、希望することによって人生と運命とを支配する「人間」の象 徴なのです」と、あった。

 第二幕は「喝采・舞台をひと巡り」1920~30年代。 見世物小屋の呼び込 み、大太鼓を叩く道化師、女曲馬師、バレリーナ、曲芸師、調教師、ライオン などが描かれている。 この展覧会の看板とでも言うべきか、ルオーが生涯に 描いた最大級の油彩画3点が揃っているのが、目を惹く。 タピストリーの原 画として原寸大に描いたのだそうだ。 「傷ついた道化師」152×105cm、「小 さな家族」(出光美術館蔵)212.3×119.5cm、「踊り子」216×116.5cm。  「サーカス資料コーナー」には、ルオーが実際に見ていたサーカスのパンフ レットやポスターがあった。 シルク・フェルナンド、シルク・メドラノなど。  サーカスの舞台となる円形のアリーナが、馬をぐるぐると走らせるのにちょう どよい大きさ(直径?12、3メートル)になっているというのが、面白かった。  後のことだが、ルオーの絵を一手に扱うようになった画商のヴォラールが、シ ルク・ディベールに席を持っていて、ルオーはそこでサーカスを見たようだ。  それが第三幕の「記憶―光の道化師」1940~1950年代に結びつく。