正蔵の「蛸坊主」 ― 2016/01/28 06:34
名所古跡といえば、京都、奈良、修学旅行で行ったけれど、年を取らないと、 良さがわからない。 奈良の大仏を見て、昔の人はさぞ驚いたのだろう。 大 仏の片方の目がおなかの中に落ちたことがある。 奈良の町の人が困っている と、私がやりましょうという男。 無理だよ。 するすると登って行って、目 から入ると、目ン玉を拾って、ピタッと張り付けた。 大した人がいるもんだ。 でも、あの人、出る所をふさいじゃったよ、どうするんだろう。 すると、鼻 の中から出て来た。 利口な人を、目から鼻に抜けるという。
上野の不忍池、四季の名所、春は花見、夏は蓮の花、秋は月見、冬は雪景色 が楽しめる。 周囲には休み茶屋がある。 一軒の料理屋に、四人の僧が乗り 込んで来た。 池の見える座敷へ。 女中衆!女中衆! お呼びで。 けっこ うな景色と座敷だね、評判を聞いて来た、お椀を頂戴、野菜のお椀、生臭は駄 目だよ。 お椀が運ばれて来る。 器もけっこうだ、いただきましょう。 聞 いてみますか。 女中衆!女中衆! 主(あるじ)殿に、話がある。
羽織を出して。 主殿か、当家は眺めも、普請も、器も、味もよいが、この お椀の出汁は何かな? 土佐、土佐と世間では申しますが、手前どもは薩摩で。 薩摩とは何か? カツ節の産地で。 カツ節とは何のことでござるか? お戯 れを。 カツオという魚で。 しからば魚類であるな、それはけしからん。 わ れらは高野一山の者、生臭は駄目だと申したはず。 すぐどんぶりに浪の花を お持ちしますので、口を漱いで頂いて、お椀は昆布の出汁で作り直します。 そ れは無駄だ、腹に入ったものは、どうしようもない、今までの修行が根こそぎ 無駄になった。 当家で四人を養っていただこう、生涯の飼い殺し、何もでき ぬ、せいぜいが味噌擂り坊主。 そうと決まったら、大いに寛ごう、とケツを まくった。 手の込んだゆすり。 上野の山は、奉行所の管轄外で、寺社奉行 もこれしきのことでは出て来ない。 さあ、困った。
奥で食事の老僧。 お女中! 主殿にお目にかかりたい。 大変です、また お坊さんが…、旦那は坊さんにもてる質(たち)かしら。 主殿か、当家は眺 めも、普請も、器も、味もよい…、池の方で騒いでおるが、ワシが間に入り、 話をしようか。 お衣の袖にすがりたいと存じます。 人を助けるのは、僧侶 の役目だ。
清ちゃん、えれえことになったな。 坊主が四枚に、一枚坊主が乗っかろう ってんだ。 玉子焼き、お土産に頼もう、この大騒ぎだ、勘定払わなくていい よ。
四人の前に、老僧がぴたりと座る。 この家とて、修行の妨げをしようとい うのではない。 美味しい料理を出そうとした。 わしに免じてゆるしてくれ ぬか。 われらは高野一山の者。 鯛の刺身も、豆腐と思えば、修行の妨げに はならん。 いやいや、われらは幼少の頃から、生臭いものを口にしたことが ない。 それでよく一口で、カツオの出汁だとわかったな。 貴僧らは、聖か、 学寮か、愚僧の面体はご存知かな。 皆、存じません。 この真覚院の面体を 知らずして、高野一山の者を名乗るとは、この偽り者めが。
何と!(三味線が入って、芝居がかりになり)そもそも高野は弘仁七年空海 上人の開基したもうところにして、高野山金剛峯寺と名付けたる百九十の寺々 を持つ、真言密教の道場なり。 今も多くの寺や坊が残り、諸国の雲水一同高 野に登りて、修行をなさんとする時、この真覚院の印鑑なくして、修行が成り ましょうか。 高野の名を騙り、庶民を苦しめる、この売僧(まいす)、偽坊 主、生臭坊主、蛸坊主!
何を! と、つかみかかる四人。 老僧のどこにそんな力があったのか、二人 を池の中へ投げ込み、後の二人もまた、目の上に持ち上げて、池の中へドボン。 ブスブスブスブスと頭から刺さって、水の上に、足が八本。 そうれ、蛸坊主!
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