「ワンダーベルト」と軍事技術2021/08/09 07:13

 平山洋さんがYouTube授業で話したことで、「野本真城」の他に触れておきたいもう一つは、「ワンダーベルト」についてである。 『福翁自伝』の「大阪修業」に、父百助の蔵書を豊後の臼杵藩の儒者をしていた白石常人(照山)に相談して臼杵藩に買い取ってもらったのと同じ頃、奥平壱岐の持っていた『ペル築城書』を借り出して、筆写してしまい、その話を緒方洪庵にすると、学費の代りに訳させるということで、適塾の内塾生(寄宿生)にしてくれたとある。

 「緒方の塾風」安政4(1857)年3月である。 福岡藩蔵屋敷に行った洪庵が、黒田侯から「ワンダーベルト」という最新の英書をオランダ語に翻訳した物理書を借りてきた。 ファラデーの電気説を土台にして電池の製造法が出ている。 塾生が集まり、2日しか猶予がないので、最後のエレキテルの部分だけでも写し取ろうとなり、昼夜の別なく作業した。 東田全義(まさよし)さんが『福澤手帖』113号に書いた「ワンダーベルトと云ふ原書」で、ワンダーベルトは書名でなく、作者名Pieter van der Burg(1808~89)に由来していることが判明した。 書名は、NATUURKUNDEと印字されている。

 『福翁自伝』「工芸技術に熱心」で緒方の塾生たちは、塩酸、ヨード、塩酸アンモニア、硫酸の四つの製造の実験をしている。 この内、ヨードは殺菌薬ヨードチンキを作るためだから、蘭方医学塾の塾生としては当然だが、あとの三つは、実は「ワンダーベルト」の中にガルバニ電池の製造法として掲載されている実験なのである。 平山洋さんは、1850年代の当時、ガルバニ電池を使った電気製品として実用化されていたのは、ただ一つ電信機だけだという。 福岡藩主黒田長溥が80両もの大金を払ってまで欲しかった情報は、この電信機の製造法についてだったろうとする。 福岡藩と佐賀藩鍋島家は、長崎警護番を勤めていて、伝令や狼煙(のろし)より早く情報を伝える通信手段が必要だった。 電信機は軍事上重要で、通信によって見えない目標を大砲で撃つ、間接砲撃もできるようになった。 平山さんは、適塾塾生の実験は、福岡藩主黒田長溥の依頼による、最新技術器械の国産化実験だったと推察している。 適塾の科学グループは、大村益次郎、大鳥圭介、橋本左内を生み、大阪大学の工学部へと発展した(蘭方医は医学部)。

平山洋さんは『福澤諭吉』で、福沢は要請を受けて砲術家、軍事専門家として育ち、福沢塾も主に西洋の軍事技術を研究する場であったのが、三度の洋行を経て英国のパブリックスクールを範とした教養教育の場に変質した、としている。