政界再編を仕掛けた渡辺恒雄さん2021/08/30 07:14

<政界再編>を仕掛けた、口説きましたよ、と渡辺恒雄さんは語る。 バブル崩壊の後遺症の時期、「当事者」として政治を動かそうとした。 連立工作だ。 村山富市内閣(自民・社会・さきがけ)の退陣を受けて誕生した橋本龍太郎内閣が、1996(平成8)年、連立を抜け出して自民単独での政権奪取を目論み解散総選挙(小選挙区解散選挙)に打って出た。 しかし自民党は過半数に届かず、新進党と民主党は伸び悩み、社民党とさきがけは惨敗した。

1997(平成9)年、橋本首相(自民党)と野党新進党小沢一郎、安全保障関係の法案で連携し、「政界の狙撃手」野中広務は大政翼賛になると批判した。 翌1998(平成10)年、小沢一郎は自由党を結成、橋本を継いだ小渕恵三首相と野中広務官房長官(経世会で小沢一郎と一緒だった)、野中が渡辺恒雄さんに自民党と自由党小沢との関係修復を依頼する。 渡辺さんは、具体的に動き、会わせて、よろしくと言わせた。 小沢一郎を、「性は善、実直、理論的、善人。党と国家の政治のことを真面目に考えてる」と。 基本政策では合意し、小沢は、国連中心の安保政策、国会改革、社会保障政策を伝えた、「自自提携」だ。 当時の鈴木宗男官房副長官は、「北海のヒグマ」といわれた中川一郎の秘書を務めたが、大野伴睦の秘書をやった中川に、渡辺恒雄は別格だから、しっかり対応するようにと、言われたと語った。

1998(平成10)年11月の「自自連立政権合意」は、自民党が公明党を連立に引き込むためで、緩衝材としての小沢に期待していた。 小沢は、この一年前まで、公明党を含む非自民勢力が結集した新進党の党首だった。 参議院は逆転現象のねじれ国会で、政権の軸足をしっかりしようと、半年後、公明党との連立政権に、公明党も加わる。 小沢も、公明党の市川雄一書記長と懇意にしていたので、自自連立を先にやってくれとは、聞いていた。

この1999(平成11)年10月の「自自公連立合意」に、渡辺恒雄さんが関与したかの具体的な言及はなかった。 ただ池田大作創価学会名誉会長とは懇意だよ、哲学的、宗教的な話をする仲、信頼しあっている。 その後、小沢の自由党は政権を離脱する。 小沢は、政策合意より、政局で語られるのが残念、合意の一つ、党首討論は今でもある、と。 自公連立は、現在につづく政権の形になっている。