「なでしこジャパン」の2020終わる ― 2021/08/01 07:48
そこで30日に埼玉スタジアム2002で行なわれた、2020東京オリンピックの女子サッカー準々決勝「なでしこジャパン」のスウェーデン戦である。 NHKは午後6時50分からEテレで中継を始め、午後8時30分からは総合テレビで放送した。 実況はベテランの内山俊哉アナウンサー、解説は岩清水梓さんだった。 スウェーデンは、ユニクロの蛍光色イエローのユニフォーム、身長が「なでしこジャパン」より頭一つ抜け出していて、当然脚も長い。
カナダ戦で先制を許したように、試合開始早々の「入り」が問題だと思っていたら、初めから攻勢をかけられ、コーナーキックからの流れで前半7分、エリクソンに決められてしまった。 セットプレーの際、この背番号6のエリクソンには、いつも清水梨紗選手がマークについていた。 ほとんどシュートが打てず、シュート数では大差がついていたジャパンも、前半15分頃からようやく攻撃ができるようになり、前半23分清水梨紗から長谷川唯への縦パスが通り、長谷川のクロスに田中美南が合わせてゴール、1-1の同点に追いつく。
前半26分には、右からの崩しに、清水梨紗がするすると抜け出て自らシュートしたが、惜しくもキーパーにキャッチされた。 30分、ペナルティーエリア内で田中美南が倒され、一旦PKの判定がなされたが、スウェーデンのアピールでビデオ判定(VAR)となり反則無しになったのは、残念だった。 前半は1-1で終わる。
後半8分、左サイドからブラクステニウスにドリブルで突破され、清水梨紗の懸命なディフェンスも及ばず、ゴールを許す、1-2。 内山俊哉アナは、清水梨紗選手を「代えの利かないサイドバック」と言っていた。 後半23分には、ペナルティーエリア内でスウェーデンのシュートに三浦成美のハンドの疑いが出、ビデオ判定の結果、PKとなり、ゴールキーパー山下杏也加は止められず、アスラニに決められた。 1-3。
高倉麻子監督は、後半27分三浦に代えて遠藤純(ベンチに下がったハンドの三浦の呆然とした顔が印象的だった)、37分に長谷川に代えて北村奈々美、41分に中島依美に代えて林穂之香を投入、挽回を図ったが及ばず、「なでしこジャパン」の2020東京オリンピックはベスト8で終わった。 熊谷紗季キャプテンは、この悔しさを糧に次につなげたい、と語っていた。
驚くべき粘り強さ、植松國雄『野菜の花写真館』 ― 2021/08/02 07:01
パソコン通信以来、「等々力短信」の会議室(フォーラム)から、このアサブロにいたるまで、ずっとお世話になっているプロバイダーの朝日ネットで、希望者に本をくれる企画があった。 そういえば昔、「等々力短信」の私家本『五の日の手紙 3』を配ってもらったことがあったっけ。 今回の本は、植松國雄著『野菜の花写真館』(敬文舎)、野菜の花にはちょっと興味があり、きれいな写真集だというので、ダメもとで申し込んでみた。
すっかり忘れていたら、朝日ネットから分厚いものが届いて、何だと開けてみると、当選したのだった。 立派な写真集である。 腰巻文のおもてに「大蒜(にんにく)、人参、大根、蒟蒻(こんにゃく)、慈姑(くわい)、牛蒡、里芋、薩摩芋 学校で教えてくれない 野菜の花 食材178種…全部新鮮 撮りたてです! 一家に一冊」、裏に「誰も挑戦しなかった日本初の写真集 この本を読むと「料理」がもっと楽しくなります 「家庭菜園」がもっとおもしろくなります 「インスタ映え」する花の写真が撮れます 「野菜の歴史」が少しわかり自慢できます ただし、この本を読んで「野菜嫌い」はなおりません」とある。
「まえがき」も「あとがき」もないところに、写真だけで勝負しようという植松國雄さんの心意気を感じる。 植松國雄さんは、1941年3月の山梨県北杜市長坂町生まれ、私と同じ昭和16年生まれだが学年は一つ上になる。 1963年日本大学藝術学部写真学科を卒業して、小学館に入社、1981年女性セブン編集長、1997年小学館取締役、二つの子会社の代表取締役を経て2007年退職。 退職後「野菜の花」の撮影を開始、本書は13年間の作品集だそうだ。
表紙の写真は、さといも(里芋)、乗っている昆虫はツチイナゴだ。 時期の限られた「野菜の花」を撮るだけで大変だろうに、驚くベきことには、178種の「野菜の花」の写真のほとんどすべてに、昆虫を写し込んでいることだ。 「野菜の花」が昆虫によって花粉が柱頭に運ばれ受粉する「虫媒花」だからなのだろうと推量するが、13年間の粘り強い撮影のご努力が想像できる。
こんにゃく(蒟蒻)の花の、奇抜な形には、びっくりした。 これには昆虫はいない。 解説に、「地下にできるいも(球茎)を加工して粉にし、それをもう一度固めて食用にします。この方法は江戸時代に水戸藩が考案し、全国にこんにゃくを売るようになりました。当時は水戸藩の専売品で、こんにゃく料理だけの料理本が発行されるほどの人気食材でした。」とあるのも、新知識だった。
ぜひ実際に見ていただきたいのだが、くわい(慈姑)、きんときまめ(金時豆)、アスパラガス(松葉独活)、えごま(荏胡麻)、クレソン(和蘭芥子)などの花が、実に可憐だ。 全体に、なばな(菜花)の系統の黄色い花が多いという感じがした。
平山洋さんのYouTube授業「福沢諭吉とは誰か?」 ― 2021/08/03 07:06
平山洋さん(静岡県立大学国際関係学部助教)から、最近YouTubeで福沢に関する授業をしたというメールをいただいたので、YouTube「未来に残したい授業」の「福沢諭吉とは誰か? 「文明政治の六条件」」を拝見した。 納得の内容で、とてもよい講義だったので、ぜひご覧になるように、おすすめしたい。 1時間ほどだ。 https://www.youtube.com/watch?v=9PxRVlxmoYs&t=23s
まず、福沢諭吉とは誰か? 「今ある日本」の仕組み、国のかたちをモデリングし、設計図を書いた人。 その設計図とは、平山洋さんが『福澤諭吉 文明の政治には六つの要訣あり』(ミネルヴァ書房)で書いた、『西洋事情』の「文明政治の六条件」だ。 この本が出た時、私は「等々力短信」第987号に「平山洋著『福澤諭吉』の挑戦」を書いた。 それを、まず引いておく。
等々力短信 第987号 2008(平成20)年5月25日 平山洋著『福澤諭吉』の挑戦
5月10日、平山洋さんの『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)が上梓された。 副題は「文明の政治には六つの要訣あり」、既刊六十を数えるミネルヴァ評伝選の一冊だ。 平山洋さんの衝撃的な『福沢諭吉の真実』(文春新書)は、2004年12月25日の「等々力短信」946号「創立150年への宿題」で紹介した。 今度の本は、その延長上にある。 帯には「今までの研究は何だったのか」とあり、問題提起の挑戦的姿勢は変わらない。
平山さんが「新たな福沢像」として提示するのは、主に四点である。 (1)福沢には「侵略的絶対主義者」の要素はなく、徹頭徹尾「文明政治の六条件」をアジアに広めようとした伝道者「市民的自由主義者」だった。 (2)福沢の思想形成に郷里中津の儒者野本真城が大きな影響を与えていた。 (3)維新後明治14年政変までの著作は、議院内閣制度を定めた憲法の制定を政府に迫る活動であった。 (4)巻末の「時事新報論説」に関する資料によって、従来過大評価されていた日清戦争以降の言論活動に根拠がないということが明確化できた。
『福沢諭吉の真実』以後、時事新報の福沢論説についての研究は少しずつ進んではいるが、私が「創立150年への宿題」で期待したほど活発な議論が展開されてはいない。 どちらかといえば、平山さんは異端視され、無視されているといってもよい。 福沢が『文明論之概略』で説いた、文明はどれも、異端妄説、多事争論から生れる、ということをあらためて思い出す必要があるだろう。
私が今度の本で面白いと思った点を二つ挙げておく。 まず、中津藩内に、保守派と改革派、実学派と尊王派の争いがあり、それが福沢の長崎遊学から蘭学塾開塾まで複雑にからんでいること。 福沢は要請を受けて砲術家、軍事専門家として育ち、福沢塾も主に西洋の軍事技術を研究する場であったのが、三度の洋行を経て英国のパブリックスクールを範とした教養教育の場に変質した。 第二に、『福翁自伝』の空白期間と、秘匿されたのか登場しない人々。 咸臨丸帰国から、遣欧使節出発までの一年半の動向…攘夷で険悪、身の危険、黙って勉強。 元治元(1864)年10月から再度の渡米までの26か月間…長州征伐の政治活動をした、明治政府関係者への敵対行動だった関係で。 登場しないのは、父方の祖母楽、野本真城、橋本左内、大鳥圭介、小栗忠順など。
多くの人に『福澤諭吉』が読まれ、論争の巻き起こることを期待したい。
「文明政治の六条件」とは何か ― 2021/08/04 07:12
(1)「文明政治の六条件」とは何か
平山洋さんが『福澤諭吉 文明の政治には六つの要訣あり』の中心に据えた『西洋事情』初編(1866)の「文明政治の六条件」とは何か。 この「政治」は、社会全体を指す。
第一条件 「自主任意」自由を尊重して法律は寛容を旨とすること。
第二条件 「信教保護」信教の自由を保障すること。
第三条件 「技術文学」科学技術を奨励すること。
第四条件 「人材教育」学校を建設して教育制度を整備すること。
第五条件 「保任安穏」法律による安定した政治体制のもとで産業を振興すること。
第六条件 「貧民救済」福祉を充実させて貧民を救済すること。
このネタは、ロンドンでオランダの医者シンモン・ベリヘンテにレクチャーを受け、『西航手帳』にメモした五条件に、公立病院などを見学して第六条件を加えたものだ。
『西洋事情』の未刊行本は1864(元治元)年にできあがったもので、日本の国家体制はどのように組み替えられるべきか、来るべき日本の国の形を考えていた、江戸の各藩実学派によって次々と筆写された。 彼らは『西洋事情』によって、とんでもない世界(現在われわれが当然と思っている)が外にはあることを知ったのだ。
だが、「文明政治の六条件」言論の自由、立憲君主制、政権交代のある議院内閣制など、英米の演説や討論で最大公約数を得ようとする文化、現行と同じような制度を導入すればよいという福沢の構想が100%うまくいかなかったことで、1945(昭和20)年の悲劇につながる。 伊藤博文などが福沢、大隈重信らの構想、憲法交詢社案に危機感を持ち、明治14年の政変によって、福沢、大隈とそれに連なる人びとは排除され、維新の元勲が残った。 坂野潤治さんは、交詢社案は戦後の日本国憲法にそっくりだと言っている。 交詢社案では下院(衆議院)から首相を選ぶ(上院(貴族院)を含まず)、英国と同じようになっている。 日本国憲法には、参議院から首相になれないという規定はない。 大日本帝国憲法は軍人に選挙権を与えていないが、交詢社案は軍人に選挙権を与えている。 戦争をするかしないかは国民全体の責任、自由を増やせば増やすほど世界の安定性は増す、最大多数の最大幸福に通じる。 独裁政治が間違いなのは、30年前に東欧で起こったことを考えればわかる。
(2)福沢諭吉の著作は「文明政治の六条件」の逐条解説だった。
「文明政治の六条件」をトータルで説いたのが、『学問のすゝめ』初編(1872)であり、それを専門的に詳しくしたのが『文明論之概略』(1875)だった。
第一条件 『通俗民権論』(1878)『時事小言』(1881)
第二条件 『福翁百話』(1897)
第三条件 『民情一新』(1879)
第四条件 『学問之独立』(1883)
第五条件 『通俗国権論』(1878)『実業論』(1893)
第六条件 『分権論』(1877)
『西洋事情』は幕末明治の政策提言に大きな影響 ― 2021/08/05 07:07
(3)幕末明治の政策提言に大きく影響を与えた
平山洋さんは、『福翁自伝』に3年分の空白のあることに注目する。 幕府
遣欧使節団の随員としての一年の旅から帰朝した後の、1863(文久3)年から1866(慶応2)年までで、1864(元治元)年には外国奉行支配調役翻訳御用の幕臣、旗本になっている。 その間、佐幕の運動をしていたわけで、維新後は新政府に対する敵対行動になるため、秘められた過去となった。 そうした人物は何人もいて、福沢は徳川慶喜の臣下の渋沢栄一を江戸時代から知っていたはずだが、1869(明治2)年が初対面だったと言っている。
福沢諭吉の『西洋事情』は幕末明治の政策提言に大きく影響を与えている。
坂本龍馬「新政府綱領八策」(1867) 明治天皇「五箇条の誓文」(1868)
福岡孝弟「政体書」(1868) 山本覚馬「管見」(1868)
徳川家を静岡藩70万石に押し込めた明治新政府は、もとの幕府領を基礎に、アメリカ合衆国憲法の大統領を天皇にして地方分権の政治を始めた。 それは4年間続いたが、1872(明治4)年の廃藩置県で中央集権となった。
(4)「五箇条の誓文」とは治世を始めるに際しての明治天皇の誓いである
江戸で勝海舟と西郷隆盛が無血開城を巡って駆け引きをしていたと同じ3月14日、京都では新政府の基本方針となる「五箇条の誓文」が明治天皇によって示された。 (3)の内で、とりわけ「五箇条の誓文」は、日本の近代化宣言となる。 武闘派ではない諸侯会議派の参与由利公正(福井藩)と福岡孝弟(土佐藩)が中心になって立案したものだが、近代的立憲君主制を指向したものとして、現在なおも輝きを失っていないので、戦後も有効にすべきという人もいた。 由利も福岡も、議会政治と経済振興政策を主眼とする思想をもった実学者横井小楠(熊本藩)の影響下にあり、『西洋事情』によってそれまで曖昧だった議会や金融の仕組みを正確に理解するようになった。
第一条・広く会議を起こしていっさいを議論によって決定すること。 第二条・官民一体となって経済を盛り立てること。 第三条・朝廷と諸侯は協力して庶民の生活向上に配慮すること。 第四条・旧慣を打破して普遍的な価値観に基づいた政治を行うこと。 第五条・知識を世界に求めて統治の基礎とすること。
平山洋さんは、『西洋事情』と読み比べたときの類似点は、一目瞭然だとする。 第一条は『西洋事情』冒頭の英国の政治機構の説明、第二条は「文明政治の六条件」の第五条件「保任安穏」、第三条は第一条件「自主任意」、第四条は『西洋事情』掲載のアメリカ独立宣言の最初の部分、そして第五条は第三条件「技術文学」と相似た内容をもっているという。
(5)日本の近代化の成功により「文明政治の六条件」はアジア諸国に広まる
中国 三民主義(孫文1906) 韓国 民主化宣言(盧泰愚1987)
台湾 十大建設と民主化(蔣経国1974) タイ チャクリー改革(ラーマ五世1895)
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