平山洋さんのYouTube授業「福沢諭吉とは誰か?」2021/08/03 07:06

 平山洋さん(静岡県立大学国際関係学部助教)から、最近YouTubeで福沢に関する授業をしたというメールをいただいたので、YouTube「未来に残したい授業」の「福沢諭吉とは誰か? 「文明政治の六条件」」を拝見した。 納得の内容で、とてもよい講義だったので、ぜひご覧になるように、おすすめしたい。 1時間ほどだ。 https://www.youtube.com/watch?v=9PxRVlxmoYs&t=23s

 まず、福沢諭吉とは誰か? 「今ある日本」の仕組み、国のかたちをモデリングし、設計図を書いた人。 その設計図とは、平山洋さんが『福澤諭吉 文明の政治には六つの要訣あり』(ミネルヴァ書房)で書いた、『西洋事情』の「文明政治の六条件」だ。 この本が出た時、私は「等々力短信」第987号に「平山洋著『福澤諭吉』の挑戦」を書いた。 それを、まず引いておく。

      等々力短信 第987号 2008(平成20)年5月25日              平山洋著『福澤諭吉』の挑戦

 5月10日、平山洋さんの『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)が上梓された。 副題は「文明の政治には六つの要訣あり」、既刊六十を数えるミネルヴァ評伝選の一冊だ。 平山洋さんの衝撃的な『福沢諭吉の真実』(文春新書)は、2004年12月25日の「等々力短信」946号「創立150年への宿題」で紹介した。 今度の本は、その延長上にある。 帯には「今までの研究は何だったのか」とあり、問題提起の挑戦的姿勢は変わらない。

 平山さんが「新たな福沢像」として提示するのは、主に四点である。 (1)福沢には「侵略的絶対主義者」の要素はなく、徹頭徹尾「文明政治の六条件」をアジアに広めようとした伝道者「市民的自由主義者」だった。 (2)福沢の思想形成に郷里中津の儒者野本真城が大きな影響を与えていた。 (3)維新後明治14年政変までの著作は、議院内閣制度を定めた憲法の制定を政府に迫る活動であった。 (4)巻末の「時事新報論説」に関する資料によって、従来過大評価されていた日清戦争以降の言論活動に根拠がないということが明確化できた。

 『福沢諭吉の真実』以後、時事新報の福沢論説についての研究は少しずつ進んではいるが、私が「創立150年への宿題」で期待したほど活発な議論が展開されてはいない。 どちらかといえば、平山さんは異端視され、無視されているといってもよい。 福沢が『文明論之概略』で説いた、文明はどれも、異端妄説、多事争論から生れる、ということをあらためて思い出す必要があるだろう。

 私が今度の本で面白いと思った点を二つ挙げておく。 まず、中津藩内に、保守派と改革派、実学派と尊王派の争いがあり、それが福沢の長崎遊学から蘭学塾開塾まで複雑にからんでいること。 福沢は要請を受けて砲術家、軍事専門家として育ち、福沢塾も主に西洋の軍事技術を研究する場であったのが、三度の洋行を経て英国のパブリックスクールを範とした教養教育の場に変質した。 第二に、『福翁自伝』の空白期間と、秘匿されたのか登場しない人々。 咸臨丸帰国から、遣欧使節出発までの一年半の動向…攘夷で険悪、身の危険、黙って勉強。 元治元(1864)年10月から再度の渡米までの26か月間…長州征伐の政治活動をした、明治政府関係者への敵対行動だった関係で。 登場しないのは、父方の祖母楽、野本真城、橋本左内、大鳥圭介、小栗忠順など。

 多くの人に『福澤諭吉』が読まれ、論争の巻き起こることを期待したい。

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