明治9(1876)年2月の『学者安心論』2022/01/29 07:14

 ②明治9(1876)年2月の『学者安心論』(『福沢諭吉選集』第3巻178頁)。 明治8(1875)年6月の讒謗律、新聞条例など、言論の自由の抑圧で、多くの新聞記者などが処罰された。(馬場註・『民間雑誌』は、明治8年6月の「国権可分の説」の第12編でいったん終刊(讒謗律との関係か)、明治9年9月『家庭叢談』となり、明治10年4月新聞の形態の(再刊)『民間雑誌』となる。) 福沢は政府に鉄槌を下し、言論の自由を支援するため、『学者安心論』を書いた。 学者とは、学校での教育、著述、演説などを「領分」とする人々。

 人は旧は良くて、新は悪いと言いがちで、短所を見て、長所を見ない。 これは心情の偏重というもので、近日、政治上にも表れている。 天下の人心は既に改進に向かっているとはいえ、多くの人民は昔のままだ。 改進は上流に始まり、下流に及ぶものなので、改革が下流に届いていない。 改革派は、政府と一緒にやるべきだ。 人民の政、古くから家政という熟語もある、非政治的領域での活躍を求める。 明治7年1月の『学問のすゝめ』四編「学者職分論」を継承し、政は政府の職分だが、『学者安心論』は民間にも政治の要素があるとする。 政府は裁判・軍事・徴税、民間は貿易・流通・開墾や運輸を通して「政」に参加。 両者が適切に運用され、支え合うことによって、「一国の文明」が進歩する。 学者が政事にばかり関心があり、自らの役割に目を向けていない。 民権論者は政府に不平を述べてばかりいる。 両者は「改進」という方向性においては一致すべきだ。

 改進派の内部紛争から、政府の守旧派と手を握って、反動へ向かうのを心配している。 国政参加の主張は、『学者安心論』では一歩後退している。 急進派説得の苦肉の策として、間接的な政府との接触を説いている。 直接論が、明治9年末執筆の『分権論』である。

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