山本五十六、苦渋の真珠湾攻撃作戦2022/01/22 07:11

  山本五十六、苦渋の真珠湾攻撃作戦<小人閑居日記 2014.8.24.>

 しかし日本は対米戦への道を歩み、山本五十六は、皮肉にも真珠湾攻撃作戦を立案することになる。 米国視察と駐在で、将来戦における飛行機の重要性に気づいていた山本は、航空主兵の構想を持って、航空部隊の育成に努力を重ねた。 だから従来の対米作戦計画、いわゆる戦艦隊中心の西太平洋決戦には、重大な疑問を抱いていた。

 6年前、大分県立先哲史料館の堀文書の中から、山本が昭和15年11月に対米戦争を想定して計画し、及川古志郎海相にその考えを述べた「戦備訓練作戦方針等ノ件 覚」(昭和16年1月7日記)が発見された。 「述志」2通とともに、それを発見した大分県立高田高校の安田晃子教諭は番組で、「昭和14年には命に代えても反対すると言っていた戦争を、気持を切り替えて戦争の指揮をとらなければならなくなった山本さんの気持を考えると、この史料の重大さに、こういう史料を私が発見してよかったのだろうかと思う位、感慨深いものがあった」と語っていた。

 山本が立案した作戦は、航空隊による米軍拠点、真珠湾の破壊だった。 「開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して、米国海軍および米国民をして救うべからざる程度にその志気を阻喪せしむること」を目指し、戦争を短期終結させることが、日本を守る一縷の望みと考え、山本は真珠湾攻撃作戦にすべてを賭ける。

 日米開戦が避けられなくなると、山本は堀への手紙(昭和16年10月11日付)で、こう告白している。 「大勢は既に最悪の場合に陥りたりと認む。今更誰が善いの悪いのと言った所ではじまらぬ話也。個人としての意見と、正確に正反対の決意を固め、其の方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なもの也、之も命(めい)といふものか」。

 この手紙を大分県立先哲史料館で見たという半藤一利さんは、その話をしながら涙ぐんだ。