『彰義隊』と「輪王寺宮」能久親王2022/08/31 07:05

 吉村昭さんが、2004(平成16)年10月18日から朝日新聞夕刊に247回連載した『彰義隊』は、強く印象に残っている(挿絵・村上豊)。 上野寛永寺貫首、日光山輪王寺門跡には、歴代皇族の法親王(皇子で、出家後に親王宣下を受けたもの)が任ぜられて、「輪王寺宮」と呼ばれていたことを、知らなかった。 最後の「輪王寺宮」となったのが、弘化4年2月16日(1847年4月1日)生まれの伏見宮邦家親王の第9王男子、幼名満宮、のちに明治になって北白川宮の第二代となる能久(よしひさ)親王だった。 孝明天皇の義弟、明治天皇の義理の叔父かつ甥にも当たるという。 慶応3(1867)年5月、江戸に下って、上野寛永寺貫首、日光山輪王寺門跡を継承した時は、満20歳だ。

 「輪王寺宮」能久親王は、幕末の王政復古から戊辰戦争に際して、皇族でありながら朝敵となってしまった。 徳川慶喜は江戸城を退去し、上野寛永寺に蟄居してひたすら恭順の意を示した。 江戸を目指して進軍する朝廷軍に対し、輪王寺宮は慶喜の謝罪書を持って、駿府城まで出向き、有栖川宮熾仁親王大総督に会うが、「今になってはどうにもならない」とけんもほろろの冷やかな扱いを受け、輪王寺宮は屈辱を味わう。 皇族の身でありながら受けたこの冷酷な仕打ちが、以後の輪王寺宮の朝廷に対する反抗心につながった。

 江戸城明け渡しとなり、寛永寺を守護することを目論んだ幕臣らが、彰義隊として上野に武装して集結、三千人に達した。 慶喜は水戸に蟄居謹慎の身となっていたので、彰義隊の守るべき対象は、自然に輪王寺宮に向けられることになった。 征討大総督府は輪王寺宮を京都に移し、これによって彰義隊の支援消滅を狙い、輪王寺宮に使者を派遣したが、宮は断固としてこれを拒絶した。

 官軍は彰義隊の征討を決意し、5月15日、大村益次郎の指揮のもと、二万人の軍勢で猛攻撃をかけ、一日で壊滅させた。

 輪王寺宮は、官軍が敗走路としてあけておいた根岸・日暮里へ落ち延びる。 このあたり、日暮里育ちの吉村昭さんの調査が詳細を究めていた。 宮は、木綿の一重に網代笠、僧だけがお供をした。 水田のつづくぬかるみの雨の中、三河島村、市郎兵衛宅や、植木職の伊藤七郎兵衛宅の納屋に潜む。 小舟で上尾久村の土蔵、名主江川佐十郎屋敷、下尾久村の水、材木の上で過ごし、上尾久村へ戻り、治右衛門の納屋の二階に隠れる。 浅草箕輪の寛永寺末寺、東光院に一泊、市ヶ谷の末寺自証院へ。

 官軍による輪王寺宮の探索が厳しくなった。 土蔵の板の間の一隅に穴が開いていて、輪王寺宮はそこに作られている狭い石段を下りた。 海の水が引き込まれていて小舟が浮かび、手拭を頭からはずした男が、腰をかがめて頭をさげた。 回漕問屋の松坂屋、榎本武揚の指揮する艦隊の船「長鯨」へ宮一行を送り届けた。 榎本は協議して、「長鯨」は水戸の北方約十五里の常陸平潟浦へ。 ようやく輪王寺宮であることが知れ、肥前唐津藩世子小笠原長行の子息繁之助が家臣とともに駆けつけた。 老中も務めた小笠原長行は、江戸を脱出して奥州に逃れて来ていた。 輪王寺宮は、磐城平、若松、米沢を経て、仙台に入る。 奥州では奥州列藩同盟が結成され、この盟主に輪王寺宮が推されることになる。

小人閑居日記 2022年8月 INDEX2022/08/31 08:08

スコットランドでは無名だったヘンリー・ダイアー<小人閑居日記 2022.8.1.>
お雇い教師ヘンリー・ダイアー、工部大学校の教頭<小人閑居日記 2022.8.2.>
ヘンリー・ダイアーの出自、来日事情、結婚<小人閑居日記 2022.8.3.>
ダイアー、帰国後の活動、まるで非公式の日本大使<小人閑居日記 2022.8.4.>
『巴爾頓傳奇―百年前的台日公衛先驅』<小人閑居日記 2022.8.5.>
「福澤諭吉協會的隨筆作家馬場紘二先生」<小人閑居日記 2022.8.6.>
稲場紀久雄著『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』<小人閑居日記 2022.8.7.>
お雇い外国人の妻たち、漱石、福沢とスコットランド<小人閑居日記 2022.8.8.>
短信 元財務相 藤井裕久さんの遺言<等々力短信 第1158号 2022(令和4).8.25.> 8/8
W・K・バルトンについての拙稿一覧<小人閑居日記 2022.8.9.>
虚子、漱石の『道草』を於糸サンに残す<小人閑居日記 2022.8.10.>
虚子と修善寺新井屋を結びつけたもの<小人閑居日記 2022.8.11.>
本井英さんの「大正四年冬の虚子」<小人閑居日記 2022.8.12.>
夏目漱石の「修善寺大患」<小人閑居日記 2022.8.13.>
『虚子研究号 Vol.V 2015』の虚子、釈宗演<小人閑居日記 2022.8.14.>
夏目漱石についての、拙稿一覧<小人閑居日記 2022.8.15.>
松根東洋城、漱石、虚子との関係<小人閑居日記 2022.8.16.>
漱石と東洋城の修善寺までと、菊屋旅館<小人閑居日記 2022.8.17.>
漱石、虚子の船旅の別れと「欠伸指南」の句<小人閑居日記 2022.8.18.>
松山の漱石、月給80円の嘱託教員だった<小人閑居日記 2022.8.19.>
『坊つちゃん』のモデルたちの月給<小人閑居日記 2022.8.20.>
吉村昭さんの小説作法、最初の一行<小人閑居日記 2022.8.21.>
吉村昭さんの長篇小説、書き出し三例<小人閑居日記 2022.8.22.>
歴史の語り部、藤井裕久さん<小人閑居日記 2022.8.23.>
政権交代と『民情一新』、再録<小人閑居日記 2022.8.24.>
吉村昭さんの文学漂流、同人雑誌は「ボトル・レター」<小人閑居日記 2022.8.25.>
津村節子・吉村昭ご夫妻の青春<小人閑居日記 2022.8.26.>
学習院の古典落語研究会と落研創設<小人閑居日記 2022.8.27.>
吉村昭さんの流儀と城山三郎さん<小人閑居日記 2022.8.28.>
三島由紀夫、丹羽文雄、吉行淳之介、八木義徳、野口冨士男<小人閑居日記 2022.8.29.>
「キアラの会」と雑誌『風景』<小人閑居日記 2022.8.30.>
『彰義隊』と「輪王寺宮」能久親王<小人閑居日記 2022.8.31.>