吉永小百合の結婚2023/09/30 07:08

 27日放送のNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』「ふたりのキネマ 山田洋次と吉永小百合」を見た。 昨年10月1日からの映画『こんにちは、母さん』の撮影現場に密着した。 山田洋次監督(先日誕生日を迎えて)92歳、吉永小百合78歳。

 9月21日の<小人閑居日記>「吉永小百合『男はつらいよ』寅さんのマドンナ二本」に、渥美清がからんだ、その事情を書いたように、山田洋次監督と吉永小百合、1972(昭和47)年の『男はつらいよ 柴又慕情』のマドンナが最初だった。 当時の吉永小百合は、一年に10本も映画に出ている超売れっ子の「時の人」だったけれど、日記に「私は、魂のない人形」と書いていたという。 そこへ山田洋次監督から手紙が届いた。 「とらやに遊びに来るような気持で来て下さい」とのひと言があり、吉永はもうちょっと肩の力を抜いて、その場に行けばいいのだろうと感じ、とっても気持が楽になったのを覚えているそうだ。 それは求められる役を演ずる現場とは、どこか違っていた。 「作品に対する向き合い方がとても柔らかくて、普通って言うか、特別なことをするんじゃなくて、なんか語り合いながら一つの作品を作っていくという。その風情は、今まで出て来た映画とまた違う感じがしましたね。」

 撮影を終った時、押し込めて来たものが、こみ上げて来た。 「自分に、正直に、生きたい」 「『もう一回、人間らしい生活をしてみよう』というふうに思ったんですね。それで結婚して一年間休んで…。その一年は、とても大きな一年だった。もしあのとき休んでなかったら、途中でどうなっていたか分からないっていうかね。俳優を続けることができなかったような気がするんですけどね。『山田学校』って、私が言っていますけれども、私にとっては学校。」

 山田洋次監督は、朝日新聞連載の「夢をつくる」19回(7月8日)「吉永小百合さんを迎えた喜び」に、こう書いている。 「この作品(『男はつらいよ 柴又慕情』)が超満員の劇場で封切られてしばらくすると、小百合さんは結婚して日本中のサユリストをがっかりさせることになるのだけど、彼女が結婚を決めたのはロケ先で渥美さんと語り合ったことが大きく影響したようです。/『小百合ちゃん、役者なんていつやめたっていいんだよ。自分の人生が大事なんだ、役者をやめたら自分でなくなるなんて考えちゃだめだよ』というようなことを言われて、そのとき結婚を決めた、という話を小百合さんから直接、僕も少々がっかりしながら聞いたものでした。」

 1年ほどの休養の後、吉永小百合は1974(昭和49)年の山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』で二度目のマドンナになった。

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