東京六大学野球、2024春の慶應義塾 ― 2024/06/06 07:07
東京六大学野球の2024春季リーグ戦は、1日、2日の早慶戦で、早稲田は勝ち点を取れば優勝、慶應が連勝すれば明治の優勝、2勝1敗なら早明の優勝決定戦だったのだが、慶應が1対8、2対12で連敗して、早稲田の7季ぶりの完全優勝に終わった。 最近の早慶戦では、優勝しそうな慶應が早稲田にやられることが多いので、その逆もあるかと思ったのだけれど、歴史的な大敗となってしまった。 慶應の試合はBIG6.TVでほとんど見ていたのだが、2日の早慶戦だけはNHKのEテレで見た。 アナウンサーがリーグ戦を、何度も「今大会」というのが気になった。 6月10日から始まるのは、全日本大学野球選手権大会で、これなら「大会」だけれど…。
そんな八つ当たりをしたくなるのは、慶應は6勝6敗1分で3位だったからか。 出だしは、よかったのだ。 東大1回戦、4番ファースト清原正吾(背番号3)のタイムリー二塁打を皮きりに主戦投手(古いね)外丸(8回)と小川で5対2、2回戦も渡辺和大先発、勝投手沖村で8対3と連勝。
法政1回戦に2対6と外丸で敗れたものの、2回戦は竹内、広池、渡辺和、小暮、外丸とつないで5対4で勝利、3回戦は9回一アウトまで外丸、渡辺和、小暮とつなぎ、1対1の延長12回、代打渡辺憩(1年、慶應高昨年夏の優勝捕手)の神宮初打席さよならホームランで2対1、勝ち点を得た。(日本で最も古い野球部は?<小人閑居日記 2024.5.5.>参照)
立教1回戦は外丸完投、9回清原のタイムリー二塁打と暴投で2対0の勝利。 2回戦竹内、渡辺和、沖村、小暮、広池、2対4で立教の対慶應21連敗阻止かと思われた9回裏、今津ヒットの二死、佐藤駿の三塁打、渡辺憩の二塁打で4対4の引分(プロ併用日)となった。 3回戦は渡辺和先発、渡辺憩捕手の渡辺バッテリー、広池、小川とつなぎ、7回まで1対7とリードを許し、8回水鳥、清原の内野安打、本間のホームラン、渡辺憩のタイムリー(この日4打数3安打)で4点を取って追い上げたが、5対7で立教は対慶應21連敗を阻止した。 雨で一日延期となった4回戦は、外丸完投、1点先制された3回清原、2点タイムリー二塁打で逆転、5回に同点とされたが8回常松のタイムリー二塁打で3対2で勝ち点を3とした。
この試合、渡辺憩が一塁に滑り込んだ時に、右手の親指かと思うが負傷して森谷に交代した。 ここまでラッキーボーイ的存在だった渡辺憩が出場できなくなり、危い所で何とか幸運な勝ちを拾ってきた今シーズンの慶應の運が尽き、明治戦を0対5、3対4で連敗してしまったのだった。
青木百舌鳥句集『めらめら』を読む ― 2024/06/07 07:02
經世濟民朦朧として卒業す
風の蒲公英我に子のなかりける
ふと祖母の口真似をしてむめの花
夜桜や企業戦士でありし日も
父親に似しは海松貝好きなこと
崖に張りついて猩々袴撮る
浮巣撮るレンズに鳰のこちら向き
辣韮を齧る明日も仕事無い
我がために生きるさみしさ根深汁
花下に一人wwwの端
後ろ手に歩く春野の烏かな
菜の花に泛く東京の摩天楼
葉桜にもうマラカスのやうな実が
疑問符で夏うぐひすの鳴きをはる
胡麻油香り鱧天穴子天
雨降りに朝顔市の蒸れにけり
店頭に鰻を割くも成田山
社長ではないが松茸売が呼ぶ
雪降つてくる雪空の中途より
ローソンに入道雲の湧いてをり
差出人は、經濟學部卒 馬場紘二とした。 新幹線と同じ60周年である。
黒澤絵美著『和一青嵐』を読む「一の風」 ― 2024/06/08 07:12
同人誌『雷鼓』を発行しておられた岩本紀子さんから、黒澤絵美さん著『和一青嵐』(高遠書房)という本をいただいた。 岩本さんの手紙の、黒澤絵美さんの紹介は、「雷鼓で育ったと言って下さる黒澤絵美さんの本。失明したのに、パソコンで小説を書き続けています。マラソンも続け、鍼灸師で生計し、炊事をし、認知症の母上のお世話をしています。」とあった。 この本の著者略歴には「1953年 茨城県龍ケ崎市生まれ。1973年 京都成安女子短期大学(現・成安造形大学)プロダクトデザインコース卒業。デザイン事務所勤務後イラストレーターとして独立。 1980年 視力障害によりイラストレーターを廃業する。 1999年 音声を頼りに文章を書き、同人誌『雷鼓』に随筆を投稿し始める。」と。
『和一青嵐』は、江戸前・中期の鍼医、杉山和一(わいち)を描いた小説である。 「一の風」「二の風」「三の風」の三章、本文100ページほどを、私は心を揺さぶれつつ、深い感動をもって読み終えた。 黒澤絵美さんが、杉山和一を小説にしたのは、管鍼の術を発明し、盲人の生業に道を開き、五代将軍綱吉の奥医師を務め、初代関東総検校となった偉人の功績を讃えたかったからではなかった。 和一の足跡に触れるにつれ、同じ盲人として、けして才気煥発とはいえない和一が、弛まぬ努力を積み重ねていくことに、非常に魅かれるものがあって、その人間性に迫りたかったからなのだそうだ。 その想いは、黒澤さんご自身半生の体験と重ねることによって、見事に描かれたということができるだろう。
杉山養慶(すけよし)は慶長18(1613)年、伊勢で藤堂高虎の家臣二百石取の武士の家に生まれたが、十歳の時、疱瘡(天然痘)にかかって失明した。 十七になって、幼馴染達はすでに城務めを始めている。 武芸より学問で、世のため人のために尽くす人になりたいという大志を抱いていたのに、これでは木偶の坊だ。 歌舞音曲の能もない。 武家は「当道座」という盲人保護制度(座当、勾当、別当、検校の四階級。京都に「職屋敷」という本部)に属する義務を免除されてはいる。 養慶に家督を継がせられない父は、下の娘に婿養子を取ることを考え始めて、母と口論になっていた。
ある晩、ついに悶々たる思いを抱いたまま一人屋敷を出て、杉山家の墓所のある霊泉寺の近くで、足を滑らせ土手下に落ちた。 小川の淵まで足場を探り、身を投げよう! ひと思いに命を断とう! 飛び込んだつもりが、水際の杭に足を引っ掛け、頭だけ水に突っ込み、泥臭い水を大量に飲んだ。 断末魔の苦しさかと思った刹那、誰かが彼の名を呼んだ。 「養慶、死んではなりませぬ!」 振り回した腕に川底の手応えを感じて、死にもの狂いで立ち上がると、川の深さは腰までしかなかった。 優しい慈愛に満ちた声だった。 母上様か? 人が近寄ってくる気配もないが、確かに彼は声を聞いた。 ぬるい風の中から優しいが凛とした気迫のある声が呼びかけてきたのだ。
死に損なった! とたんに今まで抑えていた鬱積した想いが堰を切ったように胸に溢れてきた。 両親に心配をかけまいと努めて冷静にふるまっていた抑圧された想いやら怒りや悲しみややるせなさが一気に喉元からほとばしり出た。 彼は号泣した。
絶望の淵から、光明を見い出す ― 2024/06/09 07:07
杉山養慶が号泣しているのを、霊泉寺の寺男が見つけ、寺で介抱され、恕風和尚と話をする。 寺は詮議場ではない、御仏の御座(おわ)すところ、御仏に心を開くことができたなら充分といわれ、自分の心にのしかかっていた一切を包み隠さず打ち明ける。 和尚は、鯛を食べてもいいが、鱈を食べてはいけない、という。 目が見えたらと嘆いていても何事も始まらない、それよりやりたいという希望を叶えるためにはどうすればよいのか、知恵を絞って考えることだ。 和尚は、唐の鑑真和上が日本に仏教の規範を根付かせるため困難な渡航で何度も失敗し、あげくの果てに失明してしまったにもかかわらず、五度目の挑戦で来日に成功、盲人の身で精力的な布教活動をして、唐招提寺を建立した話をした。 そして、江戸には盲目の鍼灸師が現われて、たいそう評判になっているという噂を聞いた、養慶殿、心の目を開きなさい、さすれば何も恐れるものはない、と諭した。
養慶は数日間よく考えた末、寺に出向き恕風和尚に盲目の鍼灸師について詳しく教えて欲しいと懇願した。 和尚は喜び、江戸の知人に頼んで、調べ上げてくれた。 鍼灸師の名は山瀬琢一、京都生まれで、京都の鍼治療の大家、入江流の門人で、盲人として初の入江流免許皆伝となり、江戸に出て愛宕下で開業、腕が良いので毎日治療客が押し寄せるという。 養慶がぜひ山瀬琢一に鍼療治の手ほどきを受けたいと言うと、和尚は山瀬に手紙を書いてくれ、山瀬も熱意ある若者なら喜んで弟子に迎えたいという返事をくれた。
破門され、江ノ島弁財天に籠り「二の風」 ― 2024/06/10 06:59
両親に、江戸に出て鍼灸師として身を立てたいと話すと、母は驚き息子の身を案じたが、父はそれもいいかもしれないと山瀬琢一に息子を弟子にと手紙を書き、折り返し快諾の手紙が届いた。
養慶は親許を離れ江戸の山瀬琢一の下で、和一の名で修行に励むこと五年、自分なりに努力してきたつもりだったが、成果ははかばかしくなく、経穴を覚えるだけでは四苦八苦している上に、鍼を打つのがたいそう下手で、先生が「三里に打ってみなさい」と自らの膝を差し出してくれても、まともに打つことができない。 生来緊張しやすい性質で、集中しようとすると指先が震え出す。 おまけに汗っかきで鍼を持つ手が滑ってしまうので、きちんと鍼が刺さらない。 さすがに温和な先生も、「和一、五年修業してもお前の鍼の腕は箸にも棒にもかからない。お前に素養がないのか、私の教え方が悪いのか、いずれにしてももうこれが限界だ。残念ながらこれ以上お前を指導することはできん」と、おっしゃった。
要するに破門だ。 先生の連絡で親元から迎えがきた。 父の言伝は、とりあえず国元に戻ってこれからの身の振り方を考えよとのことだった。 和一は、東海道を上る道々、思案し続けて、伊勢へは行かず、京都で適当な師匠を探して音曲の修行をしようと考える。 転機が訪れたのは藤沢宿、ふいに江ノ島に立ち寄ることを思いついた。 江ノ島には弁財天が祀られている。 弁財天は母が実家で先祖代々守り神としていた神様で、幼少の頃学問に秀でるよう祈願しろと近在の弁天様にお参りしたことがあった。
江ノ島の弁財天にお縋りして、開運を祈願する断食行、お籠りをしようと、岩本院に申し出るが断られ、上之坊で断られ、岩屋で一夜を明かした。 翌日、岩屋を出たところで運よく下之坊の宮司恭順に出会った。 恭順は、和一と同年代の若い宮司で、信仰心の厚い純粋な人だったから、和一は末社に籠り、七日七晩の行に入ることができた。 飲まず食わずでひたすらに祈ったが、何の「神応」もなかった。 二度目の七日七晩の行にも「神応」はなかった。 恭順は、やつれ果てた和一を見て、再三断食を止めるよう忠告した。 すべては弁財天様のお心のまま、もし何の啓示もなければ、それは死を意味し、潔く死のうと覚悟を決める。
三度目の飲まず食わずの七日間も終わった。 だが、やはり何の啓示も授からなかった。 日の出からまもなく、放心したように籠り堂を出、天女窟に参詣しなければと岩屋へ向かい、茫然自失の状態で弁財天様にお参りをした。 下之坊へ帰ろうと岩屋を出て歩きかけた時、あの風が吹いたのだ。 妙に温かな優しい風が、首筋から頬にかけて撫でるよう吹き過ぎ、誰かの声が聞こえたような気がした。 「迷わず真っすぐに進んでお行きなさい」
とたんに何かに躓いて前のめりに転んだ。 萎えた体で起き上がることもできず暫くはそのまま枯れ木のように転がっていたが、我に返った時、自分が何かを掴んでいることに気づいた。 筒形に丸まった葉っぱと、それを貫いて包まれている一葉の松葉だ。 突然、ある考えが閃いた。 そうか! この松葉が鍼とすれば、葉っぱは筒のようなものだ。 この筒を細い管に替えて鍼を通し、それを皮膚に立てて、鍼頭を叩けば狙った経穴に正確に鍼を打ち込むことができる。 そうすれば盲人でも楽に鍼を扱える筈だ!
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