絵の中の「踊り子たち」の実態2006/06/20 07:17

 6月7日の日記に書いた「ルオーとローランサン パリの踊り子たち」とい う展覧会を見た松下電工汐留ミュージアムへ、17日にまた行った。 関連の講 演会「パリの踊り子たち」を、鹿島茂さん(共立女子大学教授・フランス文学 者)がやると知って、申し込んでおいたのだった。 話はたいへんに面白く、 ルオーやローランサンを始めとする、画家たちの絵に登場する「踊り子たち」 の実態を、初めて知って、びっくりした。

 今日「フランス的」といわれるものは、そんなに古くはなくて、ルイ14世 の時代に始まっているのだそうだ。 「フランス料理」にしてからが、メディ チ家から嫁いで来たカトリーヌ・ド・メディシスとマリアという二人の王妃が、 イタリアから料理人を連れてきたことに始まった。 香水もメディチ家から連 れてきたルネという調香師に始まり、オペラもイタリアから来た。 イタリア 劇団の公演を観て、フランスにもその機運が出来、王立音楽アカデミーがつく られ、その付属の劇場がオペラ座だった。 音楽入りドラマ(メロドラマ)が 上演され、その幕間にバレエが踊られ、バレリーナが生れた。 バレエは1830 年代に独立した芸術になる。

 だがバレリーナは、オペラ座のバレエだけでは食べていけず、今日の「援助 交際」のような形態でブルジュア、大貴族、王族などのパトロンを手に入れた。  踊り子を至近距離で見られるオペラ座の「地獄」という席に、ジョッキー(乗 馬)・クラブの若い連中がたむろして、好みのバレリーナを物色した。 両者の 出会いと取引の場所として、ホワイエ(待合室)という所があった。 バレリ ーナ養成学校の生徒は「オペラ座ねずみ」と呼ばれたが、その養成学校に入る 試験にもコネが必要で、ジョッキー・クラブ会員のそれが最優先された。 「オ ペラ座ねずみ」の母親たちは、かつて踊り子だった連中だった。 ステージ・ ママのように、付きっ切りでマネージャーの役を果たした、という。  当時、 身分差のある結婚は、ほとんど不可能だったから、踊り子は私生児を産み、踊 り子を再生産した。 18世紀半ばから20世紀の頭まで、そういう制度だった。

  そんなわけで、パリのオペラ、バレエの程度は、どんどん低下し、人気がな くなって行った。 やがてバレエの輝かしい伝統は、遠くロシアのサンクト・ ペテルスブルクやモスクワで花開き、バレエ・リュスとしてパリに凱旋するこ とになるのである。