ルオーとローランサンの「踊り子」2006/06/21 07:50

 パトロンのついた踊り子たちは、私生児を産み、手切金でタバコ屋や、おみ くじ屋をやったり、門番の株を買い、男を見つけて結婚したりして、ステージ・ ママ稼業を続けた。 マリー・ローランサンは、そうした踊り子の私生児だっ た。 踊り子になる運命だったところを、パトロンの父の理解があったのか、 経済的に恵まれていて、中等教育を受ける。 時代が少し進んでいて、絵画を 選ぶことのできる自由な雰囲気が出てきていた。 美術学校には入れなかった が、画塾には紅一点ながら入ることができた。 同じく私生児の出でお針子を していたシュザンヌ・バラドン(ユトリロの母)が最初のプロの女流画家とな ったが、ローランサンもごく初期のプロ女流画家となる。 そして自らのスタ イルを確立した題材が「踊り子」、あり得たかも知れない自分だったわけだ。

 19世紀末、民間から新しいスペクタクルが興ってきた。 モンマルトルが盛 り場になり、ムーラン・ルージュ、フォーリー・ベルジュールなどのミュージ ック・ホールが登場した。 ダンス・ホールも出来た。 ムーラン・ルージュ などは、セミ・プロの踊り手を集め、のちにフレンチ・カンカンと呼ばれるよ うな踊りのショウをやった。 パリ周辺の縁日では、猛獣使い、女レスラー、 ジプシー(ロマ)の曲馬団、サーカスなどが興行された。 それらはルオーの 題材となった。 ルオーは聖と俗、俗なるものの中に一瞬現われる聖なるもの を描いた。 聖書は下層階級の人々について書かれていて、上流の人はしばし ば抑圧者として現れる。 (そういえばルオーは、金持や裁判官や聖職者など の上流階級の人々を醜悪なものとして描いている。)

 パリで衰退したバレエが、周縁のロシアで花開き、バレエ・リュス(ロシア・ バレエ団)としてパリに凱旋した時(鹿島茂さんはこれを「文化のガラパゴス 現象」と呼ぶ)、一流の芸術家となっていたルオーやローランサンがこれとコラ ボレーションすることになる。