薩英戦争と福沢の翻訳2006/06/24 07:16

 21日放送の“その時、歴史が動いた”「幻の大艦隊~イギリスから見た薩英 戦争~」で、若き福沢諭吉の訳した生麦事件についてのイギリスの抗議文の一 節が、薩摩藩の誤解を生んで、激高させ、薩英戦争の一方の原因になった、と 放送していた。 イギリス側にも、7隻の艦隊で鹿児島湾に入って威嚇すれば、 薩摩は簡単に屈服するだろうという誤算があって、両者のすれ違いの中で文久 3(1863)年7月2日の薩英戦争が起こったというのだ。

 代理公使ニールの書簡の問題の箇所は「襲ひ懸りし諸人中の長立(おさだち) たるもの等を速に捕へ吟味して、女王陛下の海軍士官の壱人或は数人の眼前に て其首を刎ぬべし」というところで、「長立(おさだち)たるもの」を島津久光 と勘違いした、のだという。

 問題の書簡は、『福澤諭吉全集』第20巻「幕末外交書訳稿」571頁~577頁 に収録されている。 『福翁自伝』にも、2月19日の夜中に外国奉行松平石見 守の赤坂の宅に、杉田玄端、高畑(畠)五郎と三人で呼び出されて、訳したと ある。 「訳稿」の訳者は、高畠五郎、福澤諭吉、箕作秋坪、大築保太郎、村 上英俊の五名になっていて、『福澤諭吉全集』の『福翁自伝』の注釈に杉田玄端 とあるのは箕作秋坪の記憶違いではないかとある。

 「訳稿」の問題箇所は、 NHKが引用した部分の直前が「「ヘール、リチャ ルソン」を殺害し及び「リチャルソン」に同伴せし貴女と諸君を殺さんと」と、 なっている。 「貴女と諸君」という翻訳が可笑しいが、生麦事件の下手人を 指すのは明白で、誤解のしようがない。 さらに『福澤諭吉全集』の編纂者は、 この書簡の複数の訳者の内、福沢の筆跡の部分、あるいは福沢が補記した部分 を明示している。 それを見る限りでは、問題の箇所は、他人の筆跡の部分に 入っている。  タイトル・バックの資料提供者の中に「慶應義塾福澤研究センター」の名が あったが、そのへんの新しい研究でも出たのであろうか。