小泉信三と岩波茂雄2006/10/08 07:04

 「人と人の出会い」も、「出版事業」も、川の流れのようなものだと竹田行之 さんはいう。 岩波茂雄は1913(大正2)年古本屋岩波書店を開業、翌年漱石の 『こころ』をもって出版業を始めた。 そして1920(大正9)年に小泉信三(32 歳)の最初の著作『社会問題研究』を出版するが、その1年か2年前に岩波は小 泉に出版させてほしいという手紙を出して、二人のつながりが出来、それ以後 の小泉の著作の多くを岩波書店が出すことになる。

 1923(大正12)年6月、慶應義塾評議員会は福沢諭吉の伝記編纂を議決、石河 幹明を責任者に決めた。 岩波は、この福沢伝を自分で出したいと思い、12月 小泉の紹介を得て石河幹明を訪ねる。 1927(昭和2)年岩波文庫が創刊され、 翌1927(昭和3)1月岩波文庫『福澤撰集』が小泉の解説で出た。 『福澤撰集』 の周旋・解説の謝礼の件で、岩波茂雄宛の「福沢選集十乃至廿部頂戴致したく、 此以外は断じて無用にせられたく、右は無用の心配たるの感あるを免れず候へ ども、万一其事ありたる場合に御返却する等の事ありては不穏当にて面白から ず候に付き、特に予め御含み置被下度」という小泉信三らしい手紙が残ってい る。 1931(昭和6)年3月小泉は岩波に福沢著作を文庫に収録する構想を伝え、 5月岩波文庫『文明論之概略』が出る。

 岩波書店は1932(昭和7)年2月から7月にかけて石河幹明『福澤諭吉伝』4 巻、慶應義塾創立75周年の翌1933(昭和8)年5月からは(翌年7月まで)慶應義 塾編纂『続福澤全集』7巻を刊行した。 竹田行之さんは、その両方の内容見 本にある、無署名ながら岩波茂雄の筆になると考えられる刊行の辞を資料とし て配布した。 「独立自尊の町人道を福沢に学んだ」とする岩波茂雄は、『続福 澤全集』の惹句に「偉大なる人間の思想・活動はさながらにその時代の歴史的 苦悶と情熱とを反映する」「この人を見直せ!」と書いているという。 当時、 福沢は忘れられた思想家から、ようやく復権をし始めた頃であった。