慶應義塾「独立宣言」と、その「目的」2006/10/29 08:01

 時間が押していて、佐志傳(つたえ)さんが「福澤諭吉が記録した慶應義塾」 の話を始めたのは4時で、終了予定時間まで15分しかなかった。 司会は4 時30分までと、時間を延ばしたが、佐志さんは想定内だったとみえて、詳細 なプリントを用意して下さっていた。 そのどれもが、心に迫って来る文章で ある。

 その中から、昨日書いた慶應4(1868)年4月の「慶應義塾の独立宣言」で ある「慶應義塾之記」を引いておく。 佐志さんは「慶應の者にとって一番大 事な史料」だと言った。  「今爰(ここ)に会社を立て義塾を創め同志諸子相共に講究切磋し以て洋学 に従事するや、事本(も)と私にあらず広く之を世に公にし士民を問はず苟(い やしく)も志あるものをして来学せしめんと欲するなり。(中略)仍て吾党の士 相与に謀て私に彼の公立学校の制に倣(なら)ひ一小区の学舎を設けこれを創 立の年号を取て仮に慶應義塾と名(なづ)く」

 つぎに、慶應4年閏4月10日、適塾で一緒だった紀州藩の山口良蔵宛書簡。  「此塾小なりと雖(いえど)も開成所を除くときは江戸第一等なり。然ば即 日本第一等か。(中略)僕は学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず。之 を総称して一社中と名け僕は社頭の職掌相勤、読書は勿論眠食の世話塵芥の始 末まで周旋、其余の社中にも各々其職分あり。」

 最後に、佐志さんの慶應高校福沢研究会出身で、藤沢の馬場さんという数学 の先生が、答案の裏にその全文を正確に書くと「10点増し」してくれるという 「慶應義塾の目的」を書いておく。 明治29(1896)年11月1日、慶應義塾 懐旧会での福沢みずから遺言といっている演説の一節だ。  「老生の本意はこの慶應義塾を単に一処の学塾として甘んずるを得ず。その 目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実 際にしては居家処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみに非ず、躬行 実践、以て全社会の先導者たらんことを期する者なれば、今日この席の好機会 に恰も遺言の如くにして之を諸君に嘱托するものなり。」