『断腸亭日乗』「巷の噂」2009/03/17 07:17

 『図書』3月号、持田叙子(もちだのぶこ・近代文学)さんの「永井荷風、 美男な日本語」に触発されて、このところ『摘録 断腸亭日乗』上・下(岩波文 庫)を拾い読みしている。 いろいろなことが書き付けてあって、まことに興 味深い。 ことに街の噂、人の噂が、すごい。

 今月3日、むのたけじさんの『戦争絶滅へ、人間復活へ―九三歳・ジャナリ ストの発言』(岩波新書)から、五代目柳家小さんのことを、つぎのように書い た。 小さんは、二・二六事件のとき、兵隊に取られて反乱軍の中にいたため、 危険な満州の戦場に送られ、三年後に除隊したものの、1943年12月に再徴兵 され、このときも死を覚悟したが、運よく生き残り、敗戦の翌年にようやく帰 国した、と。

 永井荷風『断腸亭日乗』には、二・二六反乱軍の兵隊について、正反対のこ とが書かれていた。 昭和17(1942)年4月26日の項、「巷(ちまた)の噂」 にこうある。 「兵卒はその後戦地に送られ大半は戦死せしやの噂ありしが事 実は然らず。戦地にても優遇せられ今は皆家にありといふ。余の知りたる人は もと慶應義塾の卒業生にて叛軍士官に従ひたる者。過日偶然銀座街上にて邂逅 し重臣虐殺の顛末及び出征中のはなしを聞きたり。」 この人は南京攻撃の軍に 従い二年半中国にいた。 高橋是清が機関銃に撃たれて斃れたのも、「また中華 人の数知れず殺さるるを目撃しながら今日に及びては戦争の何たるかについて は一向に考ふるところなきが如し。戦争の話も競馬のはなしも更に差別をなさ ぬらしく見ゆ。今日の世にはかくの如き無神経の帰還兵士甚多し。過去の時代 にはトルストイなどといふ理想家のありしこと夢にも知らぬなるべし。」