小満んの「中村仲蔵」名題まで ― 2011/05/06 06:50
「中村仲蔵」、21世紀に入ってからの落語研究会では、2003年11月26日の 第425回に柳家さん喬、2008年の9月30日の第483回に春風亭正朝が演じて いる。 正朝のそれは、この日記の2008.10.13.に、夫婦愛の物語にと狙いを つけ、見事に成功した、と書いている。 春風亭正朝、2009年9月新宿末広亭 の中席でトリを務めている時に、新宿駅で破廉恥事件を起した。 次代を背負 う一人と目していただけに、何とも惜しい気がした。 どうしているのかと、 落語協会のメルマガを見たら、今年の一月からぼつぼつ寄席に出られるように なったようだ。
小満ん、「千両役者」は千両二分二朱一本(二百文と言った。一本は銭差一本 にさした銭100枚、1文銭で100文、4文銭で400文だそうだから、二本だっ たか?)だったという歌舞伎の役者の階級と年収から始めた。 千両役者は江 戸三座で、各一、二名。 名題は、四、五人、500~300両。 名題下、相中 は、30~20両。 中村仲蔵は子役だったが15,6歳で一旦辞め、どうしても芝 居がしたくて19歳で改めて旧師匠伝九郎の所へ行く。 中村座の一番下っ端 の立役、年7両の稲荷町(楽屋に祀っているお稲荷さんの奥の暗い部屋)から 散々苦労したが、団十郎の声掛かりで中通り(名題下の三階級の中位)に上が って大部屋へ。
大部屋に入ると、台詞がつく。 「申し上げます。○○様、 お着きでございます」 中通りになると、体は暇になる。 もう世帯を持って いたので、家で下駄の下拵えの内職をしていた。 ある時、ご家老役の団十郎 に、「申し上げます。」と言って、あとを忘れた。 団十郎の所へつかつかと寄 り、耳元で「親方、台詞を忘れました」と言うと、「心得た。これへと申せ」 謝 りに行くと、「役者は機転が利かなくちゃあいけない、よくやった。いい役者に なれ」と言われた。 すぐ内職を断わった。 それからは、ひと様の芝居をよ く見て、芸熱心、芸気違いといわれるようになり、29歳で名題に昇進した。 大 部屋出ではなれないはずの名題まで出世したのは、初めてのことだった。 屋 号は栄屋、俳号は秀鶴という。
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