「パテ屋」事始め2011/10/21 04:30

 林のり子さんは、あまりお話が得意ではないのかも知れない。 「パテ屋」 の一番古いOGで、詩人・エッセイストの、ぱくきょんみさんが引き出し役、 舞台回しをつとめ、その解説や質問に応える形で、林のり子さんが話をなさっ た。 参加していたほかの「パテ屋」のOGやスタッフも、それぞれの体験や 感じたことを話した。

 林のり子さんは、1938(昭和13)年東京生れ、2歳から玉川田園調布に、戦争 中からの小学時代は岡山瀬戸内海の海辺と九州の山間で過ごした。 井戸の水 汲み、かまどや七厘の火起こし、五右衛門風呂、石臼作業、バッタ臼踏み、海 辺の作業、山間の農村の四季の様子など、得難い体験をした。 両祖父母は明 治ハイカラ世代、両親はモガモボ世代で、元の形の西洋料理が日常の生活や食 習慣にあった。 レバーソテーやタンシチューなどの内臓料理も苦ではなかっ た。 1949(昭和24)年、小学5年で現住所に帰京した。

 日本大学建築学科卒業後、ロッテルダム、パリの建築事務所に勤務、ヨーロ ッパの市場と食の豊かさに惹かれた。 もともと活字が苦手で、身体を動かす のが好き、家でも料理を手伝っていた。 空間を何百枚もの図面に落すのが苦 手で、アンテナが建築に向いていないと感じ、建物が一つ福岡で完成したのを 機に、玄米食堂でもやろうかと考えたが、場所柄もあり、小さい子供もいたの で、レバーペーストを作って、知っている方におわけする店「パテ屋」を現住 所で始めた。 パテは元来、肉食のヨーロッパでの保存食の一つ、日本で林さ んがパテをつくるのは、フランスのおばさんが日本の漬け物をつけたり、イカ の塩辛をつくるみたいなものだ。 ヨーロッパでは、秋に蔦がなくなる頃、次 の年の頭数だけ残して、豚をつぶす。 ハム、カナディアン・ベーコン、頭は 煮凝り、残りのくず肉や内臓をまとめてテリーヌ(土器…つめて火を入れる)や 腸詰にする。 コーンビーフ、コーンポークのcornedは、原義はトウモロコ シと同じで「つぶ」を意味する、つまり岩塩の「つぶ」を入れて塩蔵したもの。

 岡山の塩田で取れた黒っぽい塩などがそうだが、昔の塩は溶けやすかった。  焙烙で炒って、米を一緒に入れて、保存したりした。 そうした貴重な塩を保 存するのに、何か(貝殻や草)に吸わせておく。 塩を吸った葉っぱに、お湯を かけて、塩を取り出す。 そして、塩を吸わせた草や魚が、腐っていないこと、 塩が保存に効くことに気がついた。 これぞ「逆転の発想」だ。

 林さんは育った家の食卓にあった高崎ハムのレバーペーストが好きだった。  ニューヨークの絵描きが手づくりのレバーペースト(どうもパレットナイフで 混ぜたらしいのだが)を出してくれたのがきっかけで、レバーペーストは自分で つくれるんだと気づく。 このフランスの保存食を、料理書片手に、すり鉢と すりこぎ、裏ごしとしゃもじでつくる。 つくっては食べ、食べてはつくりし ているうちに、ついにパテづくりを宣言するハメに立ちいたったというのであ る。