「肥後細川庭園」(旧「新江戸川公園」) ― 2018/05/18 07:08
「永青文庫」は、いうまでもなく肥後熊本藩主を務めた細川家の第16代当 主で芸術に造詣が深かった細川護立(1883~1970)が設立した。 旧細川侯爵 家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたという「永青文庫」の建物 を出て少し行ったところに、第17代細川護貞(1912~2005)邸が別館に改装 されて公開されている(100円)。 吉田五十八の弟子で両国国技館、京都南座、 日本美術院などを手がけた建築家・今里隆の設計で、1980年代住宅様式の代表 作といわれる。 細川護貞は総理大臣を務めた細川護熙さんの父、というわけ で、周囲の文京区保存樹につけられた看板の所有者(管理者)は、「永青文庫」 側が「公益財団法人 永青文庫」、「別館」周辺が「細川護熙」となっていた。
細川護立が建設した細川家の本邸は現在、「永青文庫」の目白通り寄りにある 和敬塾本館になっているそうだ(不定期に一般公開するらしい)。 和敬塾は、 産業用冷凍機メーカー、前川製作所の創業者・前川喜作(1895~1986)によっ て創立された学生寮である。 余談だが、文部科学省の事務次官を務め、加計 学園の問題で「行政がゆがめられた」と述べた前川喜平さんは、前川喜作の孫 である。
「永青文庫」から2008年11月に開通した庭内の接続路の階段を下りると、 「肥後細川庭園」(旧「新江戸川公園」)に出られる。 細川家下屋敷の庭園跡 をそのまま公園にした回遊式泉水庭園だ。 この公園周辺は、江戸中期以降は 旗本の邸地となり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となり、幕末に細川 家下屋敷、抱屋敷(近くの百姓地を購入して構えた屋敷)になった。 明治15 (1882)年に細川侯爵家の本邸となり、昭和36(1961)年に東京都が買収し 「新江戸川公園」として開園、昭和50(1975)年に文京区に移管され、昨2017 年3月に「肥後細川庭園」として整備された。
この庭園が素晴らしい。 今年の1月には「松聲閣」という細川家の学問所 として使われ、細川護熙さんも住んでいたことがあるという建物が、耐震性に も配慮した保存修理が施されてリニューアルオープンされている。 2階に上 がって、座敷から庭園を眺める。 6月には肥後花菖蒲が見頃を迎えるそうだ。 庭園では、今でも整備が進んでいて、たまたま大きな松に鉄骨の足場をかけて 手入れをしていた。 「松手入れ」は、俳句の秋の季題である。 10月ころ新 葉が生長してから古葉などを整理して姿を整え、風通しをよくする。 手入れ 後の庭は、明るい感じになる。
<忘れゐし空の明るさ松手入れ 稲畑汀子>
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