〔福沢と商売〕2授業料のはじめ〔昔、書いた福沢31〕2019/03/11 07:02

        等々力短信 121 1978(昭和53).8.5.

 『福翁自伝』によれば、生徒から毎月授業料を取ることは、慶應義塾が創め た新案であった。 それまでの日本の私塾では、入学時に束脩を納める他、盆 暮に生徒銘々の分に応じた金子を先生家に進上する習慣だった。 福沢は「と てもこんなことでは活発に働く者はない、教授も矢張り人間の仕事だ、人間が 人間の仕事をして金を取るに何の不都合がある、構ふことはないから公然価を 極めて取るが宣い。」と考えた。(『福翁自伝』「王政維新」授業料の濫觴)

 明治2年8月版「慶應義塾新議」に「一、受教の費は毎月二分づつ払ふべし」 と規定されているのがそれである。 生徒を教える先進生は月に金四両あれば 食える。 一分は四分の一両だから、一人で八人を教えればよい勘定だ。 「但 し金を納るに水引、熨斗(のし)を用ゆべからず」という文句に、福沢の慣習 にとらわれない自由な考え方、ざっくばらんな人柄が出ている。