桜の皇居乾通りの通り抜け2019/04/07 08:10

 4日、皇居の一般公開、乾通りの通り抜けに初めて行って来た。 9時から というのに、地下鉄大手町駅のD2出口を出たのが9時半頃、沢山人の集まっ ている方へ向かって歩いていた。 少し腰の痛い家内を支えて歩いていたら、 宮内庁の腕章をした若い人が声をかけてくれ、近道がありますからと、ご親切 に言ってくれる。 バイパスをして、荷物検査を経て、一般の行列に交り、坂 下門へ。

 時間が早かったせいか、それほどの混雑ではなく、ゆったりとしている。 宮 内庁の庁舎の前から、これが一般参賀で行く方かと、宮殿を覗く。 桜はそこ ここにある。 イロハモミジなどの芽吹きが美しい。 右手の濠に沿って、乾 門までの道が延びているのだが、濠の向うは以前行ったことのある皇居東御苑 で、松の廊下から天守台へ向かうあたりだろうと想像はつく。 しばらく進む と左に道灌濠、ちょうど黄色い山吹が咲いていて、月並みだが落語「道灌」に ある太田道灌の故事を思い出す。 落語だと、こうなる。

太田道灌が狩座(かりくら・野駆け)に行き、にわかの村雨に、あばら家に 雨具を借りに行く。 16、7の賎の女(しずのめ)が、山吹の枝を差し出した。  道灌がわからずにいると、家来の中村勘解由(かげゆ)という者が、兼明親王 (かねあきらしんのう)のお歌<七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだに なきぞ悲しき>を教えた。 蓑と、実の、をかけた断わりだと。 道灌は、余 もまだ歌道に暗いな、と嘆き、ご帰城になった。 千代田のお城だ、後に徳川 家康がその中古物件を買ったが、安かった、家康というぐらいだからな。 道 灌は、のちに日本でも有数の大歌人になった。

 その先だったか、左手の通り沿いに、局門という門があった。 お局様が住 んでいたのだろうか。 乾門までは、案外、距離がなく、すぐに出口になった。  乾門は、昔、父親がこの時期に油絵に描いていたので知っていた。 もちろん、 内側でなく、外側からだったが…。

 12時にアーバンネット大手町ビルのLEVEL XXI東京會舘ベラージュのラン チを予約していたので、時間があった。 東京国立近代美術館の『美術館の春 まつり』「あなたのとなり、春となり」(4月7日まで、7日は無料観覧日)を 見ることにした。