ソッカー部の命名者で初代主将の浜田「諭吉」2019/04/17 07:14

慶應義塾にちなんだ名前についての別の話が、濱田洪一さんからの最初のメ ールにあった。 濱田洪一さんの父上・濱田駿吉さんの兄弟七人のうち、上か ら四人は、歴代塾長のお名前をいただいた、というのだ。 濱田洪一さんは、 工学部(現、理工学部)サッカー部の出身で、慶應義塾体育会ソッカー部が毎 年開催している「蹴球祭」(大学現役部員とOB、一貫校が交流し、関係を深め る行事)の2013年の会でなさったスピーチを送ってくれた。

なぜ慶應ではソッカー部というかは、慶應義塾体育会ソッカー部のホームペ ージの「ソッカー部の由来」や「歴史館」に書いてある。 ソッカー部は1927 (昭和2)年慶應義塾体育会に加入したが、その名称は初代主将を務めた浜田 諭吉の命名だった。 サッカーは当時、「ア式蹴球(アソシエーション・フット ボール)」と呼ばれていたが、ラグビーがすでに蹴球部を名乗っており、 SOCCERのSOはソに近い発音だと解釈しての命名だったという。 早稲田大 学は現在も「ア式蹴球部」を名乗っている。

その浜田諭吉さんは、濱田洪一さんの伯父で1943年に戦死した。 諭吉さ んの父、洪一さんの祖父・濱田長策さんは、明治26(1893)年大学理財・法 律科卒業写真で福沢諭吉先生と並んでいるのが、慶應義塾写真データベースに ある。 濱田長策さんは、長男に社頭の名前をいただいて「諭吉」、次男に門野 (幾之進)学務主任の夫人の名前「お駿」の駿をいただいて「駿吉」と命名し た。 次男の濱田駿吉さんは、ホッケー部のゴールキーパーで、1932年ロスア ンゼルスと1936年ベルリンの両オリンピックに参加し、ロスアンゼルス大会 では銀メダルを獲得した。 長女の名の「篤子」は、祖父の卒業写真の時の塾 長、小幡篤次郎の「篤」を、次女の「栄子」は次の塾長、鎌田栄吉の「栄」か らいただいた。この栄子さんの娘婿が、ソッカー部のOBで1964年の東京、 1968年のメキシコの両オリンピックに出場し、メキシコでは銅メダルを獲得し た片山洋さんだという。