ちょっと小旅行〔昔、書いた福沢54〕2019/04/27 07:09

   ちょっと小旅行<等々力短信 第600号 1992(平成4).5.5.>

 まだJRが国鉄で、それも二等車があった時代だから、ずいぶん前のことに なる。  新聞で「ちょっと小旅行」というコラムを読んで、なるほどと思っ た。 一日、普段と気分を変え、ほんのささやかな贅沢をしてみたら、という 提案だった。  二等車に乗って、横浜まで行き、大桟橋で外国航路の船を眺 め、洒落た山手のお屋敷町を散歩したり、元町のお店をひやかしたり、中華街 か馬車道で美味しいものを食べて来る。 横浜の持つエキゾチシズム、それに 東京と横浜の程良い距離が、この「小旅行」のミソだ。

 先月26日の日曜日、その横浜を目的地に選んだ、福沢諭吉協会の「一日史 蹟見学会」に、夫婦で参加させてもらった。  横浜は、幕末の開港から、明 治の文明開化の時期を通じて、世界に開かれた日本の窓であった。 福沢諭吉 は、江戸に出た翌年の1859(安政6)年、開港されたばかりの横浜を見物 に行く。 横浜で、福沢は非常に落胆した。 それまで死にもの狂いで学んで きたオランダ語が通じない。 看板も読めなければ、ビンのレッテルもわから ない。 福沢の偉いのは、状況を見て転換を計る、その決断の早さにある。  横浜から帰った翌日には、これからは英語だと「英学発心」したのであった。 もし福沢が横浜へ行かなければ、たそがれたのはヨコハマではなくて、ニッポ ンだったかもしれない。 しかし、いま横浜は、たそがれどころか、観光施設 の整備が進み、米軍施設跡の再開発を始め、建設ラッシュで活気にあふれてい る。

 大桟橋入口、旧英国領事館跡の「横浜開港資料館」で、館員吉良芳恵さんの お話をうかがい、常設展示と特別展「トワンテ山とフランス山~幕末の横浜山 手」(当日が最終日)を、説明を受けながら見る。 イギリスとフランスは、 1862(文久2)年に起きた生麦事件の翌年から1875(明治8)年まで の12年間、居留民保護・居留地防衛のため、横浜山手に軍隊を駐屯させた。

 恥かしながら、この事実を初めて知る。 現在の「港の見える丘公園」一帯 は英第20連隊の陣地があったことからトワンテ(トゥウェンティ)山と呼ば れ、現在のフランス山にはフランス軍が駐留していた。 改装されたばかりの ホテルニューグランドは本館スターライトグリルで、陽光あふれる広い空と海 を眼下に昼食。 実に美味、快適。 同席したご夫妻との会話も楽しかった。  マッカーサーの部屋も見学。 幕末明治と第二次大戦後の二度の駐留、どち らも禍を転じて福となし、西洋文化導入の窓口になった横浜の、したたかさを 感じた一日だった。