ああ、江國滋さん〔昔、書いた福沢80〕2019/07/21 07:24

                 ああ、江國滋さん

        <等々力短信 第782号 1997(平成9).8.25.>

  8月10日に江國滋さんが亡くなり、その後の夏休みの五日間をぼーっと過 ごした。 ただでさえ、ぼーっとしているのだから、ぼーっとの二乗である。 いつまで続くか、お楽しみにと始めた「等々力短信」が、こんなに長く続いて きたのは、一つには江國滋さんのおかげがあったと思う。 一人よがりでこん なものを出していて、いいのだろうかという思いが、いつもあった。    

  そんな「等々力短信」を偶然の機会から読んでいただくことになった江國さ んが、短信を評価して下さり、最初に本にした『五の日の手紙』を私家本にも かかわらず、新潮社の『波』で1986年の「今年の本」の一冊にあげ、「読 書の散歩道」という放送番組でも紹介して下さった。 読者の一人として来て 下さった500号記念の会(1989.6.27.)では、短信の読者人脈に驚いたとい うスピーチをされたあとで、その皆さんを前にカードマジックの妙技をたっぷ りと披露して下さったのだった。 プロの随筆家に、それも長く愛読していた 江國さんに認めていただいたことが、私にとって、どれほどの力と自信になっ たかは、はかりしれないものがある。

  江國滋さんと知り合えたのは、実は、福沢先生のおかげであった。 江國さ んの『俳句とあそぶ法』(朝日新聞社)の「寿(ほ)ぎの天敵-慶祝句」の章 の結論に、福沢の人生訓の第一条というのが出てくる。 「人間にとっていち ばん醜いことは、人をうらやむことであります」。 俗に福沢「心訓」と呼ば れるこの七則は、福沢の書いたものではない。 偽作であることが、富田正文 先生によって『福沢諭吉全集』別巻の228ページに明記されている。 その 旨、お知らせした手紙が、江國さんとの文通の発端となった。       

 だが、後に「心訓」によって私は、江國さんの文章に対する頑固で厳しい姿 勢を知ることになる。 『俳句とあそぶ法』の続編として、『週刊朝日』に連 載された「滋酔郎俳句館」の「人のふところ」に、また「心訓」が登場したの を読んだ私は、再びそれを指摘した。 だが、連載が『江國滋俳句館』として 単行本になったのを見ると、直っていない。 それをいぶかった私の手紙に対 する江國さんの返信「いつぞやのご教示は、もちろんよく覚えており、承知の 上で、ああ書いたのです。 理由はただ一つ、文章の上から、福沢センセイも いっておる、と書かないと文章にならなかったからで、ほんとは偽作だそうだ が、と付言したら、めりはりがくずれてしまいます」

 彫心鏤骨の文人、62歳11か月の死であった。 ご冥福を祈る。