憲法改正による再軍備の必要を説く昭和天皇 ― 2024/12/29 07:04
原武史さんの『拝謁記』「読みどころ」のつづき。 原さんによれば、日本国憲法の第九条は、天皇制を維持するために作られたものだった。 1946(昭和21)年2月にマッカーサーと首相の幣原喜重郎が会談した際、戦争放棄を世界に声明する代わりに天皇をシンボルとすることを明記すれば、天皇制の廃止を求める列国の批判をかわすことができるとして意見が一致し、その「旨」が昭和天皇にも伝えられた(豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本―〈憲法・安保体制〉にいたる道』、岩波書店、2015年)。 しかし『拝謁記』では、天皇は憲法第九条に不満で、田島に対して再三にわたり再軍備の必要性を説いている。 とりわけ独立を回復した1952(昭和27)年4月前後に発言が多くなっている。
「私は憲法改正に便乗して外のいろいろの事が出ると思って否定的に考へてたが、今となつては、他の改正は一切ふれずに、軍備の点だけは公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ」(1952(昭和27)年2月11日) 「軍備といつても、国として独立する以上必要である。軍閥がわるいのだ。」(同年2月26日) 「私は再軍備によつて旧軍閥式の再台頭は絶対にいやだが、去りとて侵略を受ける脅威がある以上、防衛的の新軍備なしといふ訳にはいかぬと思ふ」 「現に中共のやうな侵略の現実に接する以上、軍備はなしには出来ぬものと思ふがネー」(1953(昭和28)年5月5日)
「李承晩(イ スンマン、韓国大統領)の挑日的傾向や、又北朝(鮮)が万一にも統一でもあるといふ事があれば、日本の国防といふものを本当に考へてどういふ事が起きぬとも限らぬ。それを本当に祖国防衛といふやうな気持が若いものに全然なく、只ボンヤリ戦争に行くやうになる事を何でもいやといふ様な事はどういふものかと思ふ。」(1952(昭和27)年11月27日)
原武史さんは、朝日新聞の「側近が記した「昭和」II(5)」(2024年12月6日夕刊)で、昭和天皇が内々の席で改憲再軍備を求める発言を繰り返していたことがほとんど知られていないのは、田島や、田島を信任した芦田均、吉田茂の両首相が口外しなかったからとみている。 憲法にのっとり、天皇を政治から遠ざけることで天皇を守った側面もある。 「軽武装・経済重視」路線をとった吉田にとって、天皇の本音が公になれば自分の政治的立場が不利になりかねなかった、と言う。 そして原武史さんは、今後を危惧して、こう述べている。 「平成の明仁天皇は過去の戦争の反省を強調し、護憲のシンボルとなった。これに対して改憲と再軍備を唱えた昭和天皇は、保守派から戦前からの『大元帥』の面影をとどめる理想の君主と映り、都合よく利用されるのではないか」。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。