素人落語評、反省の弁 ― 2006/07/01 07:17
6月27日は、第456回の落語研究会だった。
「金明竹」 五街道 佐助
「夏どろ」 柳家さん光改め 柳家 甚語楼
「三軒長屋」 立川 談春
仲入
「胴斬り」 三遊亭 歌武蔵
「仔猫」 林家 正蔵
毎月、生意気に落語評論めいたことを書いているのだけれど、ちょっと反省 させられることがあった。 実は、いっしょにこの会を聴いている仲間の一人 に慶應の落語研究会(いわゆるオチケン)OBがいて、芸名を二代目雷門牛六 と書いて「もうろく」、今でも実演する本格派である。 その彼の、先月の「日 記」を読んでの指摘に、なるほどという点が二つあった。
まず6月2日「落語の季節感」について、「長屋の花見」「たがや」「富久」 など季節にあわせて高座にかけるけれど、実はその逆もあって、冬に「夏どろ」 や「たがや」をやってみたり、夏に「按摩の炬燵」とか「うどん屋」をやって みたりすることがある、というのだ。 噺の演出に余程の自信を持っているか ら出来ることで、もう一つ条件があり、夏やる時は顔に絶対汗をかかないこと が求められる、という。 六代目円生は、体に汗をかいても、顔は涼しく、汗 一つかかなかった。 暑い時に、いかに客を寒くさせられるかを競ったものだ そうだ。 5月31日の五人の演者の中で、汗を見せなかったのは、さん喬だけ で、本人の気持はわからないけれど、さん喬もあえてそんなことにトライした のかもしれない、というのだった。
もう一つ、6日の「さん喬の「鰍沢」」で、私が遊郭(さと)言葉の多用が気 になったと書いたことについては、原作者の円朝自身も、(六代目円生が「鰍沢」 を継承した)四代目円生、名人といわれた橘家円喬も、そういう演出で、怖さ を出した、ということだった。
佐助の「金明竹」、甚語楼の「夏どろ」 ― 2006/07/02 07:14
反省はしたけれど、書かないわけではない。 反省しつつ、謙虚な気持にな って、私なりの感想を書くのである。 「金明竹」の五街道佐助、前に「堀の 内」や「強情灸」を聴いたことがある。 なかなかよくなった。 この日の前 座なのに、前座らしからぬ、長演25分。 親戚の与太郎な小僧がカラ傘を貸 すところから、道具屋の女房まで登場させて、たっぷりやった。 さわりの上 方弁の早口の繰り返しの弁舌が、はっきりとしていて、よかった。 それが重 文級の道具類であることがよくわかり、落語の日本文化史に関する教養の奥深 さを伝えたのである。
この春、真打に昇進して柳家さん光改め柳家甚語楼、若手の有望株という。 「夏どろ」、小三治がやったのを思い出すと、もっと広い空間が浮かんで来た。 そして、そこに寝ている男は、もっとぶっきらぼうで、ものすごくおっかない 奴だった。 間抜けな泥棒が次第次第に、そのペースに乗せられて行くのは、 第一にその恐怖感があるからだった。 太目の甚語楼には、そのあたりの恐ろ しさが表われず、泥棒の間抜けさとのコントラストがぼやけて、噺に説得力を 欠く結果になってしまったような気がした。
談春の「三軒長屋」 ― 2006/07/03 07:38
立川談春は、いきなり「三軒長屋」に入った。 佐助が時間を使いすぎて、 押していたからだろうと邪推したが、単に長い噺なので、そうしたのかもしれ ない。 鳶の頭・政五郎と剣道の先生・橘ノ運平昌邦の間に、お妾さんが住ん でいる三軒長屋。 そのいーい女は、表通りの質屋・伊勢屋の親爺勘兵衛、ヤ カン頭の七十近い爺さんの持ち物だ。 伊勢勘、歯はないけれど、金がある。 女は、歯よりも、金の方がいいらしい。 頭が品川の島崎でお職を張っている 女の所にいつづけをしていて、おかみさんはイライラしている。 ヘコ半とガ リガリ宗次の喧嘩の仲直りをするために、若いもんが二階を借りに来る。 そ の原因が、湯う屋の湯の中で屁をしたという、屁のような喧嘩だ。 手打のは ずがまた、喧嘩になって、台所の包丁を持ち出す大騒ぎ。
お妾さんが静かな所に引っ越したいというのを、伊勢勘が実は両隣、「どぶさ らい」と「へっぽこ剣術使い」の家は「家質(かじち)」に入っていて近く「抵 当流れ」になるのだ、となだめる。 それを女中、鳶の若い衆に「化け物!」 「転がれ!」と声をかけられた、ひでえ面の丸々と太った女中が聞いて、あち こちでしゃべったからたまらない。
と、長い噺を全部やるわけにはいかないが、談春はテンポもよく、楽しそう に演じた。 ガキの頃、悪ぶって、物を盗ることを「ぎる」などと言っていた が、談春が「ぎったよう」と使っていた。 「にぎる」なのか、「盗」を「ぎ」 と読むのか、『広辞苑』にはない言葉だ。 ついでだが「千本試合」も「はなげ え(花会)」も、『広辞苑』にない。
歌武蔵の「胴斬り」 ― 2006/07/04 07:07
三遊亭歌武蔵の「胴斬り」、得意ネタにしているようで、何度か聴いたが、だ いぶよくなってきて、けっこう受けていた。 お湯屋の帰り道、「ボォーーー ーッ」としていて、辻斬りか試し斬りにやられた男の上半身が、「ぼーん」(下 座で銅鑼か太鼓を鳴らす)と用水桶に乗るあたり、恰幅が噺に合う。 斬られ たと気がついて、天を仰いで「アーーーアアアーー」(身体を使い、ばかみたい に伸ばすやり方をほかにも使ったが、その雰囲気を言葉で表現するのが噺家の 腕ではないか)。 西の方から気の荒い侍連中が来ている、というから時代設定 は幕末。
胴は昨日行った桜湯というお湯屋の番台に、足は橋本町の蒟蒻屋の六兵衛さ んのところに奉公して、蒟蒻を踏む職人になる。 このシュールさについて来 られますか、と汗を拭く。 落語は知的な遊び、IQの高い人でないと、ついて 来られない、と。 富山県魚津(蜃気楼と魔法使いで有名なウオヅ)の学校寄 席で「犬の目」をやったら、あとで応接室で校長と教頭が訊いたそうだ「過去 にああいうことはあったんでしょうか」。 あと、サゲまで2分、どうかつい て来てください。
「仔猫」の正蔵をほめる ― 2006/07/05 07:41
トリは林家正蔵の「仔猫」だった。 昨年6月「景清」を聴いて、「新・正 蔵の一層の精進を期待しておく」と書いてから一年が経った。 地位が人をつ くる、という。 ちょっと無理かなと思う役職に就いて、背伸びしながら、そ の仕事を懸命にこなすことによって、成長していく人がいるものだ。 この夜 の正蔵に、それと同じ感想を持った。 聴かせたのである。
「仔猫」、かすかに聴いた記憶がある、という程度の、珍しい噺だ。 蔵前の 商家に、「ちょっくら、ものたずねもうしやすがのう、ちづかやからめえりやし た、おなびちやず」と、面白い顔をした女が来る。 ちづかやは口入れ屋、「お なべ、ちーやす」女中を世話してきたのだ。 このおなべ、顔は不味いが、陰 日なたのない働き者で、番頭から小僧まで、わけへだてなく、襟垢のついたも のは着たことがない、というようになった。 店の者は、いざ暖簾分けの時、 前の越後屋のきれいな女中をもらうか、おなべをもらうか、なんて噂している。 銀ちゃんは、俺はおなべをもらう、と言って、なかなかの茶人だな、などと言 われる。
すると、十日ばかり前、宵の内から雨のしとしと降ったある晩のこと、腹が 痛くなって、はばかりでしゃがんでいた小僧が、二番蔵のほうで物音がするの を聞いた、という。 雨がやんだ月明かりの中に、おなべが…。 番頭さんも、 見た。 と、噺は怪談じみてくる。 そのへんから結末まで、正蔵は、聴く客 をひきつけて、はなさなかった。 そして、正蔵の育ちのよさが、おなべを救 ったような、怪談にしては爽やかな後味が残った。
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