光秀の子孫、「本能寺の変」の真相を捜査2011/08/14 06:10

 「歴史捜査家」を名乗る明智憲三郎さんが、『三田評論』8・9月号に書かれ た一文が、まことに興味深い。 昭和47(1972)年の工学部修士課程のご卒業だ が、明智光秀の子孫に当たるという。 「歴史探偵」を名乗らなかったのは、 明智小五郎を思わせるからだろうか。 フィギュア・スケートの選手が乗った バイクには、気を付けたほうがいいかもしれない。 長年、先祖明智光秀の起 こした「本能寺の変」の真相を知りたいと思ってきたが、七年前に工学的な手 法も用いて捜査を開始した。 当時の史料をくまなく調べて、データ(証拠)を 徹底して集め、全てのデータが矛盾なくつながるストーリーを、こう復元した。

 「光秀謀反の動機は織田信長が天下統一後に実行する計画だった「唐入り(明 国侵略)」を阻止することだった。信長は本能寺に徳川家康をおびき寄せて光秀 に討ち取らせて一挙に徳川家を滅ぼす計画を立てた。光秀はこの計画を逆手に とって信長を討った。光秀と同盟していた家康は甲斐の織田攻めに手間取り、 光秀への援軍が遅れた。このため、事前に謀反を知って準備していた秀吉の「中 国大返し」によって光秀は討たれてしまった。」

 明智憲三郎さんは、世の中に流布している通説の元をたどって、それがみな 本能寺の変直後に羽柴秀吉が書かせた『惟任退治記』にあることをつかむ。 秀 吉が都合よく作った話が、400年間、軍記物に始まり歴史小説やドラマで、拡 大再生産を繰り返され続けてきたという。 通説の壁は厚く高く、とても越え 難いが、壁への挑戦が自分の使命だと思い定めている。 二年前には『本能寺 の変 四二七年目の真実』(プレジデント社)を出版し、ブログ「明智憲三郎的 世界 天下布文!」で捜査情報を公開しているそうだ。