福沢は、はるか先を行く、偉大な先達 ― 2011/11/13 04:51
松沢弘陽さんは最後に、彼方を行く晩年の福沢のイメージと、ご自分の現在 や死生観とを重ねて考えた。 その月に80歳になった松沢さんは、3月11日 の東日本大震災を三鷹で経験して、直下型大地震、立川断層を思い、死と生に ついて考えたという。
福沢は「身体の養生」としての渋谷駅の近くまで約6キロの散歩を、来る日 も来る日も毎日続けた。 開けた山野・田園の中を、前進した。 その間には、 義塾や時事新報の難問など、さまざまなニュースが耳に入ってきただろうが、 それにとらわれることなく…。
『福翁自伝』全編の結びで、生涯の終りが遠くないことを自覚しつつも、「有 らん限りの力を尽くして、前後左右を顧みずドンな奴を敵にしても構わぬ、多 妻法を取り締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風に してやろうと思っています。」 「人は老しても無病なる限りはただ安閑として は居られず、私も今の通りに健全なる間は身にかなうだけの力を尽す積りで す。」と、言っている。
成功せる大ブルジョア・市民、大知識人の福沢は、強靭な知性と意志の持主。 その練り上げた哲学、「浮世の戯れ」「浮世を軽く視る」を、松沢弘陽さんはご 自分の「安心決定」にはならないという。 福沢は自分と異なる道を、はるか 先を行く。 道を異にするにもかかわらず、偉大な先達である、と。
質問で、読売新聞の橋本五郎さんは、「新日本古典文学大系 明治編」『福沢諭 吉集』の校注を、果てしなく、広がり、深く、並大抵の神経では出来ない綿密 な学問の仕事だとして、松沢弘陽さんのそれにかけた思いを「感情を交えて」 語ってほしいと尋ねた。 松沢さんは、橋本さんが読売新聞に書いた書評に礼 を言ったあとで、ちょっとその誤読を指摘し、丸山真男さんが富田正文さんの 書評に返したという「過褒にして当らず」と述べ、校注の仕事は、五反百姓の 手仕事のようなもので、学問の根本、丸山真男のいう「鈍と根」だと答えた。 必ず、ミスが出る、既に間違いも見つかっている、それによって福沢研究は前 進する、とも。
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