猪木武徳さんの「福沢の国法と道徳」前半 ― 2012/01/17 05:18
そこで猪木武徳さんの講演「福澤諭吉における国法と道徳」だが、ちょっと 私には難しかった。 最近、東大系の先生の講演の二、三に歯が立たないと書 いたが、日頃は好みで、わかりやすいかと思った「京大→日文研」にも、撥ね られるとは…。 もっとも猪木武徳さんは2008年5月に福澤研究センター開 設25年記念講演会で聴いた時も、手に負えなかった。 私の拙い聞き書きを 書いておく。
猪木さんは、福沢の議論から、奥行きの深さと、新しさを汲み取ることがで きる、と言う。 だが、福沢の明快な結論を鵜呑みにするだけでは、その偉大 さと奥深さを見逃す。 自己矛盾や自家撞着、葛藤を読み取ることができる。 例えば、自由貿易か保護貿易かという問題。 福沢は、その時々の状況で変化 する奥深さを見せる。 まず何がその時の、議論の本位なのかを定める。 当 初は保護貿易論だったが、明治7年頃から自由貿易の利害得失を論じ、自由貿 易を唱え始める。
それは今日のTPPに潜む問題に通じる。 TPP問題は、政治と経済が不可 分である典型的な例だ。 中国は、中国包囲網だという警戒感を抱き、一方、 軍事的膨張を続けている(それは1930年代の日本軍部を想起させる)。 その深 刻化は、回避しなければならないシナリオだ。 アジア太平洋地域の平和の枠 組をつくる、議論の本位を見定める必要がある。 TPPのルールづくりに、日 本が参加しないと駄目だ。 開国か鎖国か、という議論にしてはいけない。 決 断しないで、見つめる勇気が必要だ。 福沢の議論は、何が本位かということ を定めない者には、矛盾と映る。
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