幸四郎・染五郎・金太郎、高麗屋三代の初芝居 ― 2012/01/20 03:56
三段返しの所作事(歌舞伎舞踊)『奴凧廓(さとの)春風』も、河竹黙阿弥作の「曽 我物」。 江戸歌舞伎では、享保ごろから毎年正月興行に「曽我物」を出すのが 恒例だったという。 全段の振付を市川染五郎が、松本錦升の名で担当してい る。
新年を迎えた大磯廓一の大見世舞鶴屋の格子先、曽我十郎祐成(染五郎)が来 たところに、恋仲の傾城・大磯の虎(福助)が年賀の挨拶から戻る。 他の遊女 と噂のある十郎だが、父の敵工藤祐経に近づくためだと知った虎は安堵し、仲 直りする。
場所は変わって、大磯八丁堤。 舞鶴屋の倅小伝三(金太郎)と、大旦那で祖 父の朝蔵(幸四郎)が凧揚げをし、二人は草摺引のように凧を引き合う。 頃合 いの風が吹き始め、奴凧(染五郎)は空高く舞い上がる。 小学一年生だという 孫の金太郎を気遣いながら、登場する祖父の幸四郎は嬉しそうで、奴凧になっ て宙乗りする父染五郎とともに、高麗屋三代、正月らしいおめでたく楽しい舞 台だった。 金太郎の可愛らしい所作に、拍手喝采だった。
富士野猪退治。 富士野で大猪が、舞台の左右両花道を使って、暴れている。 これを春一番の手柄にして廓への初荷にしようと、狩人の富士の仁太郎(にたろ う・染五郎)が、名前にゆかりのある『曽我物語』の仁田四郎(にたんのしろう) の剛勇にならって、猪に逆乗りして抑え付け、退治すると、目出度く富士山か ら初日が昇る。
俳句に夏の季題で「虎が雨」「虎が涙雨」というのがある。 陰暦五月二十八 日の雨。 この日は曽我兄弟が討たれた日で、兄十郎の愛人であった大磯の遊 女虎御前が、その死を悼んで流した涙が、雨となって降るという伝説にもとづ いている。
藻汐草焼けば降るなり虎が雨 高浜虚子
虎が雨降る大磯の夜の静か 高安永柏
厨子の扉を開けばにはか虎が雨 宮川やすし
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