福沢諭吉は邦楽を嗜んだか、という質問 ― 2014/07/19 06:39
福沢諭吉について、耳学問で聞いた話などを、ブログで知ったかぶりをして いると、ときどき福沢に関する質問が来ることがある。 慶應に「竹の会」と いう尺八・筝・三絃音楽の愛好会として活動している団体がある。 志木高の 新聞部でいっしょだった友人が、そこで尺八を吹いていたので、その存在は知 っていた。 ゼミの一年後輩で、そのOB会長をしているという森政 丕さんか ら、質問が来た。 「竹の会」は明治43(1910)年、三世荒木古童直門であ った山本友三郎が小曽根蔵太と共に学生有志による尺八の会として創設したの だそうだ。 「竹之会」の歴史を調べているのだが、戦前の資料がなかなかな い。 そんな中で『三曲』という雑誌の昭和6年6月号と7月号に萩岡松韻の 書いた「明治元年からの昔話」があり、明治10年代、福沢諭吉は三曲道の大 恩人とあり、「竹之会」での森政さんたちの師範の曽祖父(尺八琴古流の家元、 二世荒木古童)、祖父(三世古童)が福沢家へ尺八教授に出向いていたことを知 ったという。 そこで、福沢はどの程度上達したのか、人前で吹いたことがあ るのか、福沢と荒木古童は、どういう付き合いをしていたのか、諭吉の芸能へ の関心、嗜み、交流について知るにはどのような資料を調べればよいのかとい う、質問である。
これは、難問だった。 私がとりあえず答えたメールは、下記の通りだ。
思い浮かぶのは、『福翁自伝』の「品行家風」の章、「初めて東京の芝居を見 る」の小見出しのところに、若干の記述があることです。 満52歳の明治20 年3月になって、初めて芝居を見て、それ以来好きになって、よく行ったよう です。 「実は鳴物ははなはだ好きで、女の子には娘にも孫にも琴三味線を初 め、また運動半分に踊りのけいこもさせて、老余唯一の楽しみにしています」 とあります。 以後、歌舞伎俳優との交流はあったようです。 『福澤諭吉事典』の「子どもの教育」の項には、「福沢は娘や息子たちに、 琴、三味線、踊り、長唄、尺八などさまざまな習い事をさせ、稽古日は大変賑 やかだったという」とあります。 富田正文『考証 福澤諭吉』(下)616頁、長女お三(中村里)について、 「英語はすこぶる達者で、音曲のたしなみがあり、長唄、清元、常磐津を 能くし、琴や三味線に堪能であった。若くして夫に先立たれ、ながく寡婦 として二児の養育に専念し、折角の英語も三味線の腕前も親戚の子女の指導 ぐらいで終ったのは惜しむべき」とあります。 尺八琴古流の家元という「荒木古童」については、『福澤諭吉全集』『福澤 諭吉書簡集』両方の索引を見ましたが、ありませんでした。
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