藤井裕久さん、角さんの「二つの置き土産」 ― 2022/10/31 07:01
もう一つは、10月24日の「Another Note」、伊藤裕香子名古屋本社編集局長補佐。 見出しは「角さんの「二つの置き土産」 理念貫いた藤井裕久さん」。 藤井さんは、大蔵官僚時代は田中角栄政権を官房長官秘書官として支え、自民党の国会議員になって55年体制を見つめた。 離党して二つの非自民政権で大臣を務めても、政治の師の一人にはずっと「角さん」がいた、という。
「まさに田中政治の置き土産ですから」と言い続けたのは、消費税。 起点は1972年、「日本列島改造論」を掲げて、角さんは首相になり、成長の果実は「老人医療費の無料化」などで還元しようと、超大型予算を組み、翌73年は「福祉元年」とうたった。 しかし石油危機が襲い、金脈問題で対陣した74年は狂乱物価で、日本経済は戦後初のマイナス成長になり、国の税収は落ち込み、赤字国債という借金に頼る財政が始まっていく。 消費税は、角さんが見せた「バラ色の夢」、「高度成長がいつまで続くという幻想に熱狂した代償」の議論だ。 低成長・少子高齢化社会でも暮らしと命を守る社会保障を「一時の夢」にしないために、費用を公平に負担する安定した財源こそが大切になる、藤井さんは2011年、東日本大震災から半年が過ぎたころ、「この40年、政治がさぼった罪は大きい。命がけでやります」と、しつこく繰り返したそうだ。
消費税は、角さんの退陣から15年後の89年に登場した。 藤井さんが蔵相だった94年には国民福祉税構想が持ち上がり、97年に税率は5%に上がる。 しかしほぼ必ず、借金の穴埋め論や政局とつながり、「代償」の解消には至っていなかった。 さらに、09年の政権交代へと導いた民主党のマニフェストは、十何兆円ものお金がすぐに生み出されるかのような「幻想」をまき散らした。
置き土産の理念と遠い歴史が続くなか、与党となった民主党は、税率を10%へと引き上げる政治決断に踏み出そうとする。 大震災の年の12月、藤井さんは民主党税制調査会長、連日長い会議を続け、野田佳彦首相と増税の党内合意へ決意を固めるが、小沢一郎さんを急先鋒とする反対に合い「歴史に残る」悔しい決断をした。 翌年、藤井さんは政界を引退した。 「歴史に残る」決断をしても民主党は政権から降り、消費税の行く末は理念通りとはいかない。 (後に2014年8%、2019年10%)
藤井裕久さんから聞いた、角さんの、もう一つの置き土産。 「角さんは『戦争を知っている人が社会の中核である限り、日本は安全だ。戦争を知らない人が中核になったときが、怖い』と言っておられた。なにも、戦争を知っている世代が偉いのではありません。あなたたちは戦争を経験することはもうないのだから、しっかり、歴史を勉強なさい」 戦争を知る世代が去った後の平和の継承こそ、経済や社会保障、そして社会全体の礎になる。 戦前の日本は圧政的な権威によって「一つにならなけれればならない空気」から偏狭なナショナリズムが生まれ、結果、敗戦に追い込まれたと解説した。
8月10日に都内であった、藤井裕久さんのお別れの会の、白と青の花々で彩られた祭壇の写真がある。 中央に、迫るように「平和」、右上段に「税の秩序」、左上段に「社会の安定と公平」、紺色の文字でつくられた三つの言葉が並んでいる。
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