「人生家族の本(もと)は夫婦に在り」2024/03/26 07:06

福沢は明治3年の『中津留別の書』に、早くもこう書いている。 「人倫の大本(たいほん)は夫婦なり。夫婦ありて後に、親子あり、兄弟姉妹あり、天の人を生ずるや、開闢(かいびゃく)の始、一男一女なるべし。数千万年の久しきを経るもその割合は同じからざるを得ず。又男といい女といい、等しく天地間の一人にして軽重の別あるべき理(ことわり)なし。古今、支那、日本の風俗を見るに、一男子にて、数多(あまた)の婦人を妻妾(さいしょう)にし、婦人を取り扱うこと下婢(かひ)の如く又罪人の如くして、嘗(かつ)てこれを恥る色なし。浅ましきことならずや。」

薩長の尊王攘夷の革命家がつくった新政府は、富国強兵、天皇の忠臣、臣民をつくるという政策なので、「人倫の大本(たいほん)は夫婦なり」では困る。 福沢は、親孝行や家名より、夫婦が仲良くするのが根本であり、それが社会の根本だとした。

福沢は、明治18年の『日本婦人論』でも、「人生家族の本(もと)は夫婦に在り、夫婦ありて然(しか)る後に親子あり、夫婦親子合して一家族を成すと雖(いえ)ども、その子が長じて婚すれば又新(あらた)に一家族を創立すべし。而(しこう)してその新家族は父母の家族に異(ことな)り。如何(いかん)となれば新夫婦の一は此(こ)の父母の子にして一は彼(か)の父母の子なればなり。即ち二家族の所出一に合して一家族を作りたるものなればなり。この点より考うれば人の血統を尋ねて誰(た)れの子孫と称するに、男祖を挙げて女祖を言わざるは理に戻(もと)るものゝ如し。又新婚以て新家族を作ること数理の当然なりとして争うべからざるものならば、その新家族の族名即ち苗字は、男子の族名のみを名乗るべからず、女子の族名のみを取るべからず、中間一種の新苗字を創造して至当ならん。例えば畠山の女と梶原の男と婚したらば山原なる新家族と為(な)り、その山原の男が伊東の女と婚すれば山東と為る等、即案なれども、事の実を表し出(いだ)すの一法ならん。斯(かく)の如くすれば女子が男子に嫁(か)するにも非ず、男子が女子の家に入夫(にゅうふ)たるにも非ず、真実の出合い夫婦にして、双方婚姻の権利は平等なりと云うべし。」                               (つづく)

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