初めてJR鶴見線に乗る ― 2024/07/12 07:08
熱中症警戒アラートの出た7日の日曜日、三田あるこう会の第568回例会で、「JR鶴見線をめぐる旅」へ出かけた。 京浜工業地帯を走る鶴見線があるのは知っていたが、乗るのは初めてだった。 JR京浜東北線の鶴見駅西口改札内に集合、そのまま構内の鶴見線ホームから海芝浦行きの電車に乗る。 平日の昼間には1時間に1本ほどの運行とかいう。
10分ほどで6駅目の終点、海芝浦駅のホームは海の中に到着する感じで、左に京浜運河の絶景が広がっている。 前面に扇島と大黒埠頭をむすぶ「鶴見つばさ橋」(全長1020m、1994年完成)が架かり、運河を挟んだ対岸には、臨海部の工業地帯が見える。 実は海芝浦駅は東芝の事業所構内にある無人駅で、改札は工場の入り口に直結しており、一般の乗客は出られない。 東芝は駅に隣接する社有地の一部に97年「海浜公園」を整備したので、改札口を出ないで一回り、そこから行き交う貨物船を眺めたりできる。 折り返しの電車に乗るのに、一旦交通系カードかスマホで「出場」をタッチし「入場」をタッチする。 鶴見線の他の駅もみな無人駅なので、同じようにする必要がある。
鶴見線は、鶴見-浅野-武蔵白石-扇町間7.0㎞が本線で、われわれが浅野から分かれて乗った浅野-海芝浦1.7㎞と、ほかに武蔵白石-大川間1.0㎞の2本の支線がある。 われわれが乗ったのは、鶴見、国道(アナウンスのアクセントが極道に近い)、鶴見小野、弁天橋、浅野、新芝浦、海芝浦。 浅野から本線は、安善、武蔵白石、浜川崎、昭和、扇町。 武蔵白石、大川の支線。 文字通り、京浜工業地帯を行く鉄道で、貨物線から発展したことがわかる。 この地域の埋め立ての功労者の名前を取って、浅野(あさの)駅は浅野総一郎、安善(あんぜん)駅は安田善次郎に由来する。
浅野総一郎(1848(嘉永元)-1930(昭和5))は、浅野財閥の創設者。 富山県に生まれ、少年時代から商才にたけいろいろな商売に手を出し失敗、1871(明治4)年東京へ出た。 薪炭、石炭などの商売から渋沢栄一の知遇を得るなど、後日の発展の糸口をつかんだ。 1884(明治17)年渋沢の助力により官営深川セメント工場の払下げに成功し、以後、革新的努力を傾注して浅野セメント(後の日本セメント、現太平洋セメント)を国内随一のセメントメーカーに発展させた。 また1891(明治24)年東洋汽船を設立、日本最初の太平洋定期航路を開設した。 さらに1913(大正2)年鶴見、川崎沿岸150万坪(約500万平方メートル)の埋め立て事業に着手、昭和初期までに完工させた。 そのほか炭鉱、造船、製鉄、電力、貿易などの事業へ多角的拡大を図り、浅野財閥を築き上げた。 なお、安田善次郎(安田財閥の創設者)から多くの資金援助を受けており、両者の関係については「浅野はエンジン、安田は石炭」などと例えられた。
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