江渕崇さんの「アナザーノート」「働く尊厳軽んじたツケ 世界の危機」 ― 2025/04/26 06:59
21日の朝日新聞夕刊「アナザーノート」は、江渕崇経済部次長の「働く尊厳軽んじたツケ 世界の危機」だった。 「コロナ危機以来の世界的不況に陥るかどうか、その瀬戸際に私たちはいる。なりふり構わぬ「トランプ関税」の連打のせいだ。人類が膨大な犠牲の上に築いてきた民主主義の土台をも、トランプ米大統領は突き崩そうとしている。」と、始まる。 なぜ、このような人物が、2度も大統領に選ばれたのか――。
「ハーバード白熱教室」の政治哲学者、同大学のマイケル・サンデル教授は、「単に経済的に苦しいだけでない。エリートが自分たちを見下し、日々の仕事に敬意を払っていないという労働者の不満や憤りが、トランプの成功の根本にあります」と、インタビューに答えた。 お金だけでなく、名誉や承認、敬意の欠如、つまりは「尊厳」をめぐる問題である。
困難に打ち勝つには、大学で学位を取り、高給の仕事にありつくこと――。 民主党主流派やリベラル派が発したのは、個人の上昇志向と社会の流動性に解決を求めるメッセージだった。
しかし、そこには「暗黙の侮辱」が潜んでいたとサンデルさんは喝破する。「新たな経済で苦労しているなら、失敗は努力を怠った自分のせいだという侮辱です。逆にエリートは傲慢にも、成功を自身の能力の当然の報いだと考えました」
人々の屈辱感につけ込んだのが、エリートを表向きに敵視してみせるトランプ氏だったというわけだ。
江渕崇さんは、10年近く前の英国の若手コラムニスト、オーエン・ジョーンズさん(『チャヴ 弱者を敵視する社会』の著者)の、「メディアや政治は『チャブ』と呼ばれる労働者階級の若者たちがいかに怠惰で無能か、そして文化的に堕落しているというイメージを、執拗に振りまいてきました」という話を思い出す。 粗野な言動をする若い労働者の蔑称が「チャブ」、「彼らを『悪魔』にしておくことで、失業や低賃金といった本来は政府や社会が向き合うべき問題を、個人の能力や努力の問題に矮小化できたのです」。 あらゆる職業が世襲に近くなって、自身の英メディア業界でも、トップ記者100人の半分以上は有名私立高校の出身者、政・財・官界はもちろん、ロックスターまでエリート校出身者が目立つようになった。 封建制ならば親の職業がほぼ自らの職業になる。 職業選択は今や自由だから、不遇ならば、それは怠惰な自分のせいになってしまう。 存在が「悪魔化」されたことへの怒りやうっぷん、やっかみといった感情が、様々な形で噴き出していくだろう、極右、極左、ナショナリズム、「そう遠くない将来、これらが暴発するのではないかと恐れています」と警告していた。
オーエン・ジョーンズさんの警告は、サンデルさんの指摘と重なる。 約10年前に始まったトランプ現象は一時的・局所的な「逸脱」ではなく、「新常態」として現前する。 隘路を脱する糸口はどこにあるのか。
サンデルさんは、共同体に貢献する「生産者」を重視すべきだと話す。 主流派の経済学は「消費者」の利益を目的としてきた。 自由市場や自由貿易は最も安い商品を人々に届けることを可能にし、消費者全体の利益になると正当化された。 しかし、その代償として「生産者としての米国人に、深刻な打撃を与えてきた」(サンデルさん)。 中西部の工業地帯の労働者が典型例だ。
トランプ関税が、本当に米国民に利益をもたらすのかは怪しい。 ただ、「あなたたち生産者のことを考えている」というアピールにはなる。 その限りでは政治的に合理性がある。
サンデルさんは、リベラル派こそ「人々の不満や無力感の根源に立ち返る必要がある」と言う。 もし問題が「尊厳」をめぐる不平等ならば、富の再分配では不十分ということになる。
ナショナリズムに訴える右派は、人々に同胞としての承認を与える政治にたけている。 それとは別の回路で、社会に貢献する「生産者」の尊厳をどう取り戻すか。 リベラル再生に避けて通れない試練だろう。
この「アナザーノート」、なぜトランプのような人物が、2度も大統領に選ばれたのかについて、重要な指摘がなされていたので、長々と引用した。 それぞれの問題について、明日から考えてみたい。
酒井抱一、風雅に遊ぶ自由を得る方法<等々力短信 第1190号 2025(令和7).4.25.> ― 2025/04/25 07:20
酒井抱一、風雅に遊ぶ自由を得る方法<等々力短信 第1190号 2025(令和7).4.25.>
大岡信編『日本の色』朝日選書139(1979・朝日新聞社)に、丸谷才一さんの「花野」という酒井抱一を書いた一文があった。 丸谷さんの生家に、抱一という落款の枕屏風があった。 銀地に秋草を描いた、というと豪勢なものに聞こえるが、これがニセモノだということは、幼い丸谷さんにも判ったし、父上も同意見で値段の割には楽しめるじゃないかと言っていたという。 丸谷さんは、抱一が好きなのはもちろん、その絵と発句が気に入っているためだが、もう一つ伝記的興味もあるという。
酒井抱一は、姫路の殿様の第二子として生まれながら、武士であることを見事に避けてしまった男なのである。 その逃げ方はすこぶる念が入っていて、というよりもむしろ仰々しくて、何もこんなに凝らなくたっていいのにという気がするくらいだ。 彼は寛政5(1793)年、37歳の年、病気のため西本願寺の徒弟となって京都に住みたいと願い出た。 酒井家ではこれを許し、千石五十人扶持を給することになる。 10月18日、折から江戸に下っていた西本願寺文如上人によって得度、権大僧都に任ぜられる。 そのときの句。 <遯(のが)れ入る山ありのみの天窓(あたま)かな> 季語は、ありの実、まるめた頭(つむり)を梨に見立てたわけだ。
11月3日、京へ向けて出発、抱一自筆の日記に「霜月三日、其爪、古櫟、紫霓、雁々、晩器などうちつれて花洛の旅におもむく」とあるから、京に住まう気は最初からなく、要するに俳諧仲間を引き連れての京見物だったにちがいない。 <布団着て寝て見る山や東山>、<島原のさらばさらばや霜の声>は、このときに成ったもの。
京にあることわずか12日。 12月14日、江戸に帰って、<鯛の名もとし白河の旅寝哉>などと呑気に吟じるあたり、すべては自由の身になる計略だったと断じて差し支えないようだ。 以後、「前権大僧都」は文晁、鵬斎と並んで江戸の文人を牛耳り、勝手気儘な晩年を送ったのである。 句集『屠龍之技』の序は亀田鵬斎、跋は大田南畝である。 ここはやはり、もって文界における抱一の勢威と名望を知るべきであろう。
なお、当時の文人の常として吉原通いにせっせと励んだし、それに千石五十人扶持は相変わらずついてまわった上に、画料も入ったろうから、「隠君」の遊びはすこぶる景気のいいものだったらしい。 得度以前の、<湯豆腐のあわただしさよ今朝の霜>、<寝やと言ふ禿まだねずけふの月>も、得度以後の、<ほととぎす猪牙の布団の朝じめり>、<市分けてもの言ふ花やをみなへし>、<傾城のふくさ捌きや大晦日>も、すべてこういう粋な研鑽の賜物にほかならない。 彼は逃避を一個の芸術品と化した、旦那芸の最上のものと言って差支えないであろう、と丸谷才一さんは締めている。
春風亭一之輔の「心眼」後半 ― 2025/04/24 07:08
並んでいるのは、納めの提灯ですか、いいもんですね。 人力、車に気を付けろって、お竹がいつも言ってます。 降りたのは、女の人ですか、いい女だ。 芸者だよ、一流の、東京でも指折りの。 家のお竹もあれくらいですか。 お竹さんは、指折りのまずい女だ、人三化七というけれど、お竹さんは、はっきりしていて人ナシ化十、ごめんね。 どうってことはない、人間はここだ、と胸を叩く。 いいかい、あの人を不幸にしたら罰が当たる。 女のおこもさんがいるけれど、あれよりは? お竹さんは、少し劣るね。 でも、ここだ、と胸を叩く。 お前さんは、いい男でね、役者みたいな、山の小春を知ってるかい。 お得意で。 芸者衆呼んで一杯やってたら、本当にいい男は梅喜さん、役者じゃなくて、独り身だったら、苦労してみたい、と言っていた。
人が大勢いますね。 仲見世だ。 叩いて、目をつぶると、わかる。 良い匂いは、人形焼きか、こういう形なんですね、食べさせてやりたい、お竹に。 子供の玩具、風車、ちいせえ頃に、見てました。 親父が買ってくれた。 金公が貸してくれって言って、弟に譲ってやれって、親父が。 凧でしょ、私も上手い、思い出しちゃった。 金さんとこにも行きなさい、仲良くしなよ。 五重塔だよ。 お線香の煙、こんなことをしていたのか、みんな体の悪い所に当てているんだ。 鳩が、飛んでった。 あんまり、指を差すんじゃないよ。 階段は、見晴らしがいい。 雷門だ。 観音様、梅喜はいい按摩です、目が明いたんで、よろしく。 お賽銭が一杯だ、儲かってますね。 あんな所に人が…。 姿見に、映っているんだ。 本当だ、手を挙げると、向うも挙げる。 なるほど、いい男かもしれない。 あれは旦那、お気の毒なんだ。
梅喜さん! どなた? あたし、わからない、小春。 小春姐さん。 おめでとう、目が明いたって。 いい女ですね、きれいですね、初めておめにかかったけど。 お祝いをしたい。 (手で酒を飲む形)こんなことをやりたい、少しいいかい。 行きますか。 上総屋は、お竹の所へ梅喜の目が明いた知らせに、お堂の階段を上る。 梅喜は、小春に手を引かれて待合に入った。 座敷の様子を眺め、一杯やる。 不調法で、一杯これで。 目が明いて飲む酒は、美味かった。 これはマグロ、こんな色をしていたんで。 これ山葵、これシタジ、いただきます。 山葵利いたか目に涙。 美味いねえ、姐さん。 おかみさんも、嬉しいでしょう。 お竹の、おかげですよ。 だけど、家に帰るの怖い、上総屋さんから人ナシ化十って、聞いた。 梅喜さん、そんなこと言っちゃあ駄目よ。 ただ、目が明くと心配になっちゃって。 何をお言いだよ、止めてくれ、そんなこと言って。 器量を褒められても、嬉しくない。 お前さんに惚れてんだよ。 生涯苦労したいって思っているんだよ。 その女に向って、そんなこと、言うんじゃないよ。 本当に惚れてんだよ。 あっしだって、一緒になりたい。 でも、おかみさんが。 どっかに、逃げませんか。 私と逃げましょうか。
梅喜さん、お前って奴は。 何だ。 私、お竹で、首絞める。 許してくれ、勘弁してくれ。 お竹、死んじまう、勘弁してくれ。
何をうなされているんだろうね、この人は。 梅喜さん、大丈夫か。 どうしたの、梅喜さん、うなされて、泣いてた。 梅喜さん! ハ、ハイ。 お竹、勘弁してくれ、許してくれ。 ごめん! 何よ、もう、ハイ、ハイ、ハイ、わかりました。
おまんま、支度できてますよ、今日も行くんでしょ、お薬師様。 俺、信心、よした。 盲人ていうのは不思議なものだな、寝ているうちだけは、よく見える。
春風亭一之輔の「心眼」前半 ― 2025/04/23 07:10
ご来場で有難うございます。 ホール落語、芸の粋、究極のものを、上から下から斜めから、いろんな設定のものを見てみようという、鼻持ちならない会でして…。 寄席は、足の悪い方がいらっしゃれば、そういう噺は避ける、われわれはそんな繊細な生き物で。 前座の頃、末広の昼席に、十日の内何日か、目のご不自由なお爺さんがいらっしゃって、鞄の中から某メーカーのシーフード・カップヌードルを出して、魔法瓶からお湯を入れて、ぴたっと3分待って、前座が出ると食べ始める。 あたりに磯の香りが漂う。 その人が、按摩や盲人の噺をCDやテープを聴くけれど、寄席ではだれもやらない、勉強不足じゃないか、と言う。 それは、あなたがお出でだから、とは言いにくい。 そういう人もいます。 シーフードがお好きですね。 一択だね。 いつも見事に、お湯を止めるけれど、コツは何ですか。 ちょうどしか、魔法瓶にお湯を入れてこないんだ。 最前列の真ん中、20年前、70か80の方だった。 今、満席というけれど、その席が空いている。
こつこつ、今帰ったよ、お竹。 お帰りなさい梅喜さん、どうでした、横浜のご療治は? お前さん、身体の具合でも悪いのかい。 歩いて帰って来たんだ。 汽車賃、渡してるよ。 金公の所へ行ったよ。 あいつが「ごくつぶしが、このどめくら」と言うんだ。 二親が死んで、あいつを育てたのは、俺だ。 汽車賃、金公にやっちゃった。 でもなあ、目さえ明いてりゃあなあ。 梅喜さん、信心したらどう、茅場町のお薬師様に百日、願掛け参りを、私も応援するよ。 明日から、やってみようか、願掛け。
あっ、どうも、お薬師様。 浅草の馬道で、按摩をしております梅喜と申します。 百日参ります、お賽銭はこれで。 どうも、今日は十日目、覚えていただけましたか。 酷い降りで、ゆんべから屋根がボロ、建付けが悪くて、濡れて風も通るので大変、一と月になりました。 中日でございます、かかあのお竹がうるさいんです。 お薬師様が待ってるって、お賽銭をたんと、いつもより多めに、目を明けて下さい、これで。 暑くなってきましたねえ、カンカン照りで、ようやっと7時、お身体、ご自愛を。 あと十日です、長かったですねえ。 朝起きんのが大変な三月でした、でもあと十日、この通り。
オーーッ! 満願でございます。 梅喜でございます。 百日、ここまで来たという心情、奮発、これでお願いします。 満願、この通り、お薬師様、目を明けて下さい。 お留守ですか。 居ねえことは、ねえんだ。 聞こえてるよね。 百日です、お願いします。 どういうことなんだい!(と、大声で) 毎日、ちゃんとお賽銭をあげてるんじゃないですか。 明かない、せつない、やらずぶったくりの、泥棒薬師!
梅喜さん、大丈夫か。 目が明いたな、梅喜さん。 どなた? 上総屋だよ。 上総屋の旦那ですか。 酷いことを言っていたよ、お詫びを申し上げろ。 今のは、嘘です! 夫婦の念が通じたんだ。 お竹さんにも、知らせておやり。 道が、わかんない、どうやって来たのか。 私が一緒に連れてってやろう。 杖も要らねえんだ。 家に置いときます、今まで世話になったから。
立川談幸の「夜桜」 ― 2025/04/22 07:01
談幸は濃い丸顔で、縞の着物。 談志が死んで13年、内弟子の頃、ずっと料理をこしらえていた。 たまには談志が、俺がやるといって、野菜を切って炒め、小さな袋を取り出して、パラパラかけている。 よく見たら、お弔いの時の、浄めの塩だった。 あれを溜めておく。 袋の裏を見たら、「食べられません」。 談志のところにテープのライブラリーがあって、オープンリールの「夜桜」があった。 カセットテープにダビングした。 上方の「親子茶屋」、八代目桂文治、前の前の前の文治、昭和30年に亡くなった。 写真を見ると、顔が異常に長くて、黒い、「茄子」と言われた。 デブの円生は、「かぼちゃ」顔。 四代目小さんが、「茄子とかぼちゃの喧嘩」と言った。
日本人は、桜が大好き。 染井吉野、名所でなくても、近所で見られる。 江戸川区の桜並木、ほとんど人が来ないし、行かない。 上野なんかは、外国の人まで増えて。 近所の公園、寂しいね、向島は工場が建て込んで、煙を出し、桜が煤煙に敗けた。 と、皆が嘆いた。 最近は夜桜のライトアップをやる。 ライトアップしちゃあいけないもの、自分の女房。
吉原の夜桜、いつも桜があるわけでなく、三河島から職人がやってきて、二階から見えるように植える。 「桜をば植えて山吹とりたがり」(山吹色の小判)。 お父っつあん、お早うございます。 お早うかい。 昼前のお叱言で。 三四日帰らなかったが、どこへ行っていた。 花見に。 花見なんて、半日もかからないだろう。 酒なくて何の己が桜かな、夜桜です。 吉原のぼんぼりに灯りが入り、花魁と寄り添いながら眺める。 四日目に、ご帰還か、粋な洋箪笥の金が無くなっている。 道楽息子、奉公人になめられる、おん出されることになる。 親が大事か、花魁が大事か? お父っつあん、つまらないことを聞く。 親が大事か。 いいえ、花魁。 罰当たりな。 親は買おうたって買えない、売ろうたって売れない。 お前は世間知らずで、騙されているんだ。 敵娼(あいかた)は違う、そのようなことはありんせん、と、目に涙を浮かべ、色っぽい目で見る。
私はこれから無尽の会が今日で満回、山谷の料理屋に行く。 お前が、今日出かけたら、勘当します。 お父っつあん、山谷の料理屋でお開きの後、向島の花見の客が吉原の夜桜へ行かないかと言っているのを小耳にはさみ、話の種に行ってみよう、冥途の土産に、と行くことにする。 旦那様、床几にお茶を、年に関係はありません、若い人が買うのは若ラン、年配の方が買うのがオイランで。 倅は、どんなことをして遊んでいるのか、お世話になりましょうか。 ご大家の旦那と見て、一流の芸者、一流の幇間で持て成す。 楽しい、楽しい、私は帰りたくない。 倅と二人で遊んでいたら、身代が傾く。
一方、若旦那、つまらないね、留守番は。 勘当は洒落にならない。 スーーッと行って、ワッと遊んで、スーーッと帰って来よう。 痔が起こって、切れが出る、親父がうるさくて、今日は長居ができないんだ。 いつもの連中は、二階の客で塞がっています。 六十かっこうの大旦那、品のよろしい方です。 粋な年寄がいるもんだ、ちょっとだけご一緒させていただくことはできませんか。 伺って来ましょう。 いかがでしょう。 それはいけない。 勘定は増えません、むしろ半分になる。 呼んで下さい。
趣向はないですか? 襖を間にして、旦那のカラスが羽ばたく。 ご対面! で、襖を開ける。 粋なことだ。 次の間に、若旦那、(唄が入って)手踊りとなる。 ワーーッと、ご対面! アッ、倅! お父っつあん! 倅、決して博打はするなよ。
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