菊志んの「紙入れ」と歌武蔵の「たばこの火」2007/10/01 06:39

 3月に真打に昇進した古今亭菊朗改メ古今亭菊志んの「紙入れ」である。 菊 志んというのは初めての名前で、信用金庫ではない、という。 つまり初代だ。  たれ目の小僧顔、ボサボサ頭(この手の頭も美容院でやるらしいが…)。 「紙 入れ」は、間男の話だ。 その顔でやるお店のおかみさんが、妙に色っぽい。  その落差が、可笑しい。 噺家としての使い勝手がよいというか、オールラウ ンド・プレーヤーになりそうな資質を持っている。 どういう真打になってい くか、成長が楽しみだ。

歌武蔵、今回は本名を松井秀喜でなく、寺内貫太郎と、言った。 「たばこ の火」とは珍しいと思ったら、あとから出た権太楼が種明かしをした。 落語 研究会独特のプロデューサーのネタ指定、たいてい半年ほど待ってもらってや るのだが、ほとんどがそれでしくじる。 出だしはよくても、後半はネタに圧 されて、ひき下がる。 歌武蔵がそうでした、と。

「たばこの火」、柳橋の料亭・万八に初めての客、結城の上下を尻っ端折り、 白足袋に雪駄履きの垢抜けたなりの男がやってくる。 女の人に言いつけるの は苦手だと、男衆の喜助を呼び、駕籠屋の駄賃と残りは祝儀と、二両を帳場に 立替えさせる。 ウコンの風呂敷包みを預けて上がり、床の間を背にせずに座 り、芸者を呼んで、手酌で飲み始める。 踊った妓さん方の祝儀に、喜助に言 って五両の立替え。 三味線、お囃子の大妓さん方には、十両の立替え。 太 夫衆(幇間)には、二十両の立替え。 ここまでは出した帳場も、喜助と裏の 方の祝儀に三十両というところで、出し渋った。 だが、ウコンの風呂敷包み には、柳行李にきっちり小判が入っていた。 あとをつけると、深川木場のナ ラモ(楢茂?)の屋敷、大旦那の兄さん、紀州の山奥で伐り出しをしている暴 れ旦那とわかった。 三十両を断わらなければ、生涯の贔屓になるところだっ た、という。 万八では、お詫びにと、堀(山谷堀)から櫓下(深川)まで芸者衆全員を手 古舞仕立にして、神輿と、江戸中のを集めた鰹節の山車を出し、ナラモの屋敷 を二度回った。 いい目の保養になったと、暴れ旦那、二三日うちに行くよ、 と言ってくれた。 三日目の夕方、例のなりでやって来た旦那、縁台で休ませ てもらうと、隅田川の風情を楽しむ。 そして、ちょいと借りたいものがある、 というのだが…。 おわかりだろう。

権太楼の「代書屋」2007/10/02 06:31

 権太楼は、ネタ指定で苦労した歌武蔵とちがって、今日は楽、「いいんですか 「代書屋」で」と訊いたといって、嬉しそうに話し始めた。 細身で、横柄な、 世の中つまらなそうに生きている代書屋に、「デイショヤさん、デレキショ書い てくれ」という男がやってくる。 持って来いといわれて、うちにはないから、 隣のタケに聞いたら、こないだまであったんだけれど、おつけの実にして食っ ちゃったという、デレキショだ。 墨を磨る代書屋に、かけなさい、といわれ て駆け出す、なんで走るの、スワンナサイ、ふんどし締めなさい、はみ出して いる、となる人物だ。

本籍はどちら? 咳、出ない。 生まれた場所? 奥の四畳半。 お名前は?  秀樹。 姓は? 五尺八寸。 あっしは湯川。 むずかしい言葉で、一石二鳥。  同姓同名でしょ。 似てる。 似てんのは漢字が四つというのだけ。 あっしもこないだ天皇賞取った。 職歴で、ごたつく。 八月に今川焼屋をやったと いうから、「千住駅前で饅頭商を営む」と書いて、店賃が高いのでやんなかった で、一行抹消、ハンコ。 「十二月、錦糸町、巣鴨で露天商」、「ヘリドメ」下 駄の歯の、すぐ取れちゃうから買わない方がいい、「履物付属品を商う」と書い て、寒いから二時間でやめたというので、一行抹消、ハンコ。 それから、よ なぎ(げ)屋をやった、川の中に勤務す、とか書いてくれといわれて、「河川に埋 没したる物品を収集して生計を立つ」。 「生計を立つ」はいいねえ、あっしは 朝も立たねえ。 ほかに昭和26年6月15日、浅草、という鮮明な記憶があっ たが、「はじめてストリップを見た」で、一行抹消、ハンコ。

 新聞に写真が出たり、表彰状をもらった「賞罰」、去年六月、新聞社主催の町 内饅頭大食い大会で、八十六個ペローッと食ったという落ちになる。 ともか く、権太楼は楽しそうに演じ、その楽しさにこちらも乗せられて、とても愉快 になった。

正朝の「黄金餅」2007/10/03 07:43

トリは春風亭正朝である。 「黄金餅」という大ネタに挑んだ。 2001年の 11月からつけている<小人閑居日記>の「落語」を「黄金餅」で検索しても、 演った人は出てこなかった。 出てきたのは、まず志ん朝が亡くなった後で、 志ん朝には気の毒なことをしたのだが、私は志ん朝に点が辛く、「志ん朝はよう やく、志ん生の呪縛から解放されたといえるのではないだろうか」と書いたの は、落語研究会で『黄金餅』を聴いた平成9年(1997)4月であった(等々 力短信 第769号)という記事だった。 その次は、志ん朝が落語研究会で かけた演目のリストで、「黄金餅」は三回やっていた。 もう一つ、円菊の思い 出話に、志ん生は『黄金餅』を稽古だけで8年かかった、というのがあった。  つまり志ん生と、志ん朝のそれを、忘れることの出来ない、大ネタなのである。

 正朝は、肩肘を張らずに、淡々と、オーソドックスに演った。 聴かせどこ ろの下谷山崎町(上野駅前あたり)から、麻布絶口釜無村までの、例の地名の 言い立ても、割とゆっくりと、奇をてらわずにやっていた。 それは、それで よかったのではないか。 崩しや自分なりの工夫は、これからのことだろう。  ただ、ムナワリ長屋と言ったが、やはりムネワリだろう。

ブログの「アクセス・ランキング」2007/10/04 07:48

 9月の途中からASAHIネットのブログサービス「アサブロ」に、「アクセス・ ランキング」なるものが登場した。 各自のブログへのアクセス数を集計して、 その100位までを、表示するものだ。 「アサブロ」のトップ画面をクリック すると見ることができる。

 9月20日、どうせ<轟亭の小人閑居日記>なんかないだろうと覗いてみると、 19日のランキングの終いの方、80位にあるではないか。 どのくらいの人に 読んでいただいているのか、アクセス数がないのが残念だが、前回からの上昇・ 平行・下降は分かる。 と、なると、気になるもので、毎朝書き込んだ後で、 前日のランキングを見ることになった。 保坂正康さんの皇室論<等々力短信  第979号>をアップした25日は、順位がどんと跳ね上がって 48位、そのあ と49位、49位と続いて、28日が最高の44位であった。 反響の少ない、砂 漠に水を撒くような、この遊びに対する、まぁ一つのかすかな手ごたえで、つ いつい毎日見てみることになってしまった。

産業カウンセラーの仕事2007/10/05 07:26

 2日、仲間内の情報交流会があって、「産業カウンセラーの仕事―職場からう つ(うつ病)と自殺を無くそう―」という話を聴いてきた。 メンバーのUさ んはCI(corporate identity)コンサルタントのお仕事のかたわら、産業カウン セラーの資格(厚生労働省認定)を取って、カウンセリングルームを開設、う つ病に悩む人々の相談に乗っている。 最近は、グローバル化や競争激化の中 で、どこの企業でも、うつ病で休職したり、薬を飲みながら働いている人が、 急激に増えているのだそうだ。 Uさんは企業の相談室(健康管理室)にも関 わって、主にうつ病の予防について、管理者を含めての理解と啓発活動にもあ たっている。

 Uさんがこの仕事に関わったのは、自身の学生時代のうつ病体験があったか らだというところから話し始めた。 ボランティアの児童福祉活動の資金稼ぎ に、陸送屋のアルバイトをした。 そこでトップの成績を上げ、信用されると、 パトカーやタクシーを運ばせてくれるようになる。 それで3時間睡眠とかで 一生懸命にやっている内に、超過労状態になって、高熱を発し、妄想が起きる、 うつ状態になったのだそうだ。 うつ病の原因には、その(1)超過労、(2) ショック(事件、事故、転勤などの)、(3)性格(真面目、一生懸命、神経質、 わがまま)などが、あるのだそうだ。 Uさんは、友達の支えや、就職した会 社の好意などがあって、快復することができた、という。

 その経験から、うつ病に悩む人たちが、自殺に追い込まれないで、なんとか うつ病から脱却して、復帰してもらいたいと、この仕事に取り組んでいるとい う。 偉いなあ。 真摯なお人柄と、熱い思いが、伝わってくる感動的な話で あった。